衝撃…!少子化の根本原因は、50年前の「国の政策」にあった

日本の人口を減らそうとした時代が…
週刊現代 プロフィール

「家族計画」の名の下に

国も新聞も、日本中がこぞって「少子化対策」を騒いでいるいまの世の中と真逆のことが行われていたというのは、にわかには信じがたいが、それは紛れもない事実だ。

1947年、日本は第一次ベビーブームを迎える。終戦による旧植民地からの引き揚げや、出征していた夫の帰国によって、夫婦による「子作り」が一気に進んだ結果だ。

この年以降、日本の出生率は上昇し、'49年には4.32を記録している。出生数は、269万6638人にのぼる。これは2017年の3倍近い数字だ。

 

ところが、翌1950年には上昇がピタリと止まり、出生数が一気に約36万人減少している。明らかに不自然な推移だが、いったい何が起こったのか。

「複雑な要因がありますが、GHQが産児制限の普及を誘動したことにより、爆発的な中絶ブームがおこったことが一番大きい。

食糧難の中で人口が急拡大していた日本が再び軍国化することを恐れたアメリカは、中長期的に日本の出生数を抑え、人口の増加に歯止めをかけるべく、中絶の合法化や避妊知識の普及などを陰に陽に働きかけていたのです」(河合氏)

くわえて、当時のアメリカには「人口の急増は共産化に結びつく」という考えも根強かった。アメリカにとって、日本の人口増は絶対に食い止めなければならない「課題」だったのだ。

当時の吉田茂内閣はこのGHQによる産児制限の誘導を受け入れ、「家族計画」を国民へ広めるべく務めるようになる。

そして、それに一役も二役も買ったのが当時の新聞だった。

'49年の新聞記事を見ると、いま掲載されているのはまったく逆の「人口増加による危機」を叫ぶ言葉が並んでいる。

〈文化的に内容のある生活をするためにも産児制限は有効な手段といわなければならない〉(読売新聞1月1日付)

〈とにかく人口が多すぎる。なんとかしなければ、どうにもならぬと、だれもが考えている〉(毎日新聞11月21日付)

こうした、国を挙げた「産児制限」の啓蒙によって、日本の出生率は減少のカーブを描いた。

Photo by GettyImages

'57年の出生数は約156.7万人。'49年からわずか8年で、100万人以上減少した計算だ。

「歴史に『もしも』はないといいますが、第一次ベビーブームがわずか3年という不自然な形で終わっていなければ、いまの日本の人口問題はもっと違った形になっていたでしょう」(河合氏)

その後、'60年代に入り、高度成長が本格化すると、急速な経済発展による労働力不足を背景に、国による人口抑制政策は次第に後退していく。

そして、'70年代になると、ふたたび出生数の急増が起きる。先述の'47~'49年第一次ベビーブーム世代の年齢が20代のなかばに差しかかり、一気に結婚、出産ラッシュを迎えたのだ。

'71年には、出生数が19年ぶりに200万人台を回復、第二次ベビーブームが到来した。