若者にこそ読んでほしい『働くということ』の変わらぬ魅力

原作と漫画版の作者がスペシャル対談
コミックDAYS プロフィール

自分の時間を会社に売るということ

黒井:就職による変化が具体的にわかってくるのは、例えば昼休みといえども工場の外に出るには出門票がいるとかですね。昼休みなんて、休み時間なのだからどこに出たって自由じゃないかと考えますけども、そうではないんです。

これは実際に体験したんだけれども、確か同僚が盲腸炎か何かで入院したんですよ。街の病院に入院していると聞いたんで、じゃあ昼休みに自転車を借りてちょっと見舞いに行こうと思ったら、最初守衛さんか誰かから出門票がいるんだぞって言われてびっくりして。

それは何だって言ったら、その工場に拘束されている時間の中でどこか外へ行くのなら、「(工場の)門を出る」という許可を上司からとらなきゃいかん、と言うんです。

言われてみたら本当に出門票という、申請用の伝票があるんです。それに「病院見舞いのため」と書いて、仲間の見舞いに行きました。

休み時間なら自分の時間じゃないかと思うんだけど、どうも理屈はよくわからないけども、休み時間だからといって自由になにか出来るというわけではない。拘束時間というのは朝から夕刻までありますから、そこの中でどういうふうな学生時代との違いが出てくるか。

出門票の話は小さなことですけど、そういう小さなことがいっぱい積み重なっていって、少しずつ「もう学生じゃない。会社に時間は売っちゃったんだ、金で考えなきゃいけないんだ」という意識がだんだん積もってきて、それで少しずつ会社員になっていく、ということではないかと思うんです。池田さんもお勤めになったことはあるんですよね?

池田:あります。パルコブックセンターという書店で9年間、書店員をしていました。ただ、書店員は一般的なサラリーマンとは働き方が異なる部分が多いので、会社員というのは何をしているんだろう、というのは全然わからなくて、未だにわからない。

子供の頃は『サザエさん』の波平さんやマスオさんみたいになるのかなぁと思ってたんですけど、あれ? ぜんぜん違う? みたいな感じでしたね。

漫画版の作者・池田邦彦氏

黒井:9年間。結構長いなぁ。会社ですこし偉くなったんですか?

池田:全然(笑)。同期の人間は主任になったりしてるんですけど、私は……みたいな感じでした。

黒井:僕もまったくそうなんですよ。大学を出て富士重工業に入社し、15年も勤めたら課長くらいになっておかしくないはずなのに、そうならなかった。

周りを見回すとだいたい皆出世していて、自分より後輩までもが課長になっているんです。部長の推薦が必要となる、課長になるための昇格試験みたいなものを受けるチャンスを与えられないままに15年が過ぎまして……。会社からはそれなりに睨まれていた、ということかもしれません。

――小説を書いているから、といった会社なりの理由もあったのでしょうか?

黒井:3ヵ月間の工場での現場実習が終わり、東京の本社に移ってからは、バレていましたね(笑)。働き始めて何年か経って、同人雑誌に発表した小説が芥川賞候補になったんです。それから5年間、毎年候補になっては落ちるということを繰り返していました。

そんな中で、あいつは変なやつだ、小説なんか書こうとしてるみたいだぞ、という噂が広がって、会社の人間から敬遠されたり、興味を持たれたりというようなことはありました。

僕自身も、本気になって小説に取り組むのだったら、会社勤めは無理だという気持ちが次第に強くなってきまして、最後に上司に退職届を出したんです。

 

ちょっと待てとか、よく考えろとか言われ引き止められるのではないかと予想していたのですが、上司は「お前いいことに気がついたな。ここにいたって絶対になんともならないのだから、自分のやりたいことがあるのならさっさと自分の道を進むべきだ」と言うんです。周りの同僚にも引き止められなかったです(苦笑)。

1人だけ、机を並べて仕事をしていた隣の席の同僚に「お前が今いなくなったら、後は全部俺が背負い込むじゃないか!せめてこの仕事が終わるまでいてくれ!」と言われましたがね。

池田:小説家として頑張れ、とかではない(笑)。

黒井:本当に食えなくなっちゃったら、広告代理店に行ってコピーライターでもないけど、そういう制作関係の仕事を手伝わせてもらえばいいかなぁと思って辞めたんです。

幸いなことに当時は高度経済成長にかかる時期で、「脱サラ」という言葉が流行ったように、職を探す側が有利だというか、そういうところはありましたから。

その波に乗ったということにはなるのかもしれませんね。でも、しばらくは本当に不安定でした。定期収入が全くないわけですから(笑)。だから7~8年くらいかな、どうやって自分が食っていられるのかよくわからなかった。

それでも何か書けば原稿料は入ってくるから、頼まれた仕事は一切断らない、なんでも引き受けるという態度を基本方針にしてやっていました。

小説だけではなく、エッセイ、ラジオやテレビへの出演と、なんでも言われたことはやりましたね。あとから考えてみれば、いろいろやってみたことは勤め人を辞めて、より広い実社会に出ていって生きる上では非常に役に立ったし、いろんなことを教えてもらったとは思いますね。

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