2018年8月11日、那覇市の奥武山公園陸上競技場で開催された『辺野古新基地建設断念を求める県民大会』

沖縄発!「ゆとり世代」「さとり世代」が社会を変える可能性

打たれ弱いがゆえの強みがある

明日2月24日、沖縄県名護市の辺野古新基地建設に伴う埋め立ての是非を問う沖縄県民投票の投開票が行われる。この結果、建設反対が大多数を占めようと、辺野古の状況はすぐに変わらないかもしれない。

だが、沖縄は確実に変わり始めていると、沖縄在住10年のスポーツジャーナリスト・松永多佳倫氏は言う。

さきの県知事選挙では、「ゆとり」「さとり」世代と揶揄される20代の若者たちが、これまでにない自分たちの方法で玉城知事支持の大きなうねりを生み出していた。基地問題のまっただ中にいても、感情的に主張することも絶望することもない若者たちは、「ゆとり」「さとり」と言われる特性ゆえの強さをもっているようだ。

 

ゆとり教育を受けた故の長所とは

沖縄は、戦後の74年間、常に“基地問題”に直面してきた。特にここ20年は、普天間基地の移設問題、辺野古への土砂投入、日米地位協定……と、ずっと議論されてきたが、何ひとつ解決案が見出されていない。沖縄は、日本でありながら日本ではない土地として、時の為政者に上手く利用され、南の小さな属領のような扱いを受け続けてきたのだ。

昨年10月には、玉城デニーが第8代の沖縄県知事に就任した。新しい沖縄に生まれ変わるため、“対立から対話へ”とシフトチェンジし、安倍総理と2回会談したが、中央政府は一貫して「辺野古移設が唯一の解決策」と譲らない。口にこそ出さないが、半ば諦めている県民が多いなかで、もし本当に沖縄の状況が変わるとすれば、それを担うのは、政治家ではなく、“ゆとり世代”、“さとり世代”の20代の若者たちである。沖縄に暮らし始めて10年。私は今、そう実感している。

バカッターたちの無軌道で無責任な行動がSNSで拡散、炎上するニュースが連日のように報道されるなど、20代の若者たちの考え方や振る舞いが問題視されているが、そんな荒くれ者はごく一部に過ぎない。マスコミが一部の者を過剰に取り上げるのはいつの時代も同じ。私が取材現場で知り合うこの世代の若者たちのポテンシャル、感性は、間違いなく新時代を切り開く力をもっていると感じている。

毎年行われる全国学力テストでの沖縄県最下位発表はもはや風物詩でもあり、ナイチャー(本土出身者)のなかには、表立って口にこそ出さないが沖縄の若者は勉強ができないと決め付けている人もいるだろう。実際、沖縄の若者たちも他県に比べて学力が低いことは認識しているが、だからと言って自ら蔑んだり妬んだりしない。

「沖縄は異文化を受け入れる土壌があります。だから外から来た人に優しい。私自身、父の仕事の関係で転校を繰り返してきて、小学校4年生になる前に母の生まれ育った沖縄に引っ越してきましたが、沖縄の子たちは転校生に慣れているせいかすぐに仲良くなりました。

バブルが弾けてから生まれてきたので、世間の厳しさをずっと体感しながら生きてきた感はあります。就職活動でも氷河期がやっと終わり売り手市場になりかけた大学3年生のときにリーマンショックが起こり、会社採用枠に関してモロに影響を受けてきた世代なので、いろいろな意味で堅実だと思います」

そう語る宇田奈津美さん(31歳)は、IT企業に勤務する「ゆとり世代」である。ゆとり世代とは、1987〜96年に生まれ、ゆとり教育を受けてきた世代を指し、宇田さんはまさにゆとり第一世代である。

「新卒で入社したとき『ゆとり世代が入ってきた』と言われ、興味本位で見られたことを覚えてます。10歳下のさとり世代を見ると、まさに自由という感じがします。ITなので、作業中に飴を舐めるなど自由な社風なんですが、上司が注意しているときにも飴を舐めているのにはさすがにびっくりしました。でも悪気はなくて、注意すれば素直に受け入れるんですよね。変に学歴が高くプレイドを持った子より、自然体で素直の子の伸び代は計り知れませんから」

宇田奈津美さん

IT企業に勤め、リーダー的役割を担う“ゆとり世代”の宇田さんでも、20代中盤以下のさとり世代の奔放さには思わずあきれてしまうことあるという。そもそも“ゆとり世代”は体育会系的な体罰指導が非とされ、押さえ込みの教育がなくなったことで、怒られるときにも頭ごなしではなくきちんと納得するまで説明されている。それがしっかり刷り込まれているせいか、部下のミスに対しても感情的にならず相手が納得するまで注意喚起しようとする。

ゆとり世代は怒られ慣れてないから打たれ弱いという批判もあるが、それはマイナス面ばかりではない。部下に対して高圧的、暴力的にならずにコミュニケ―ションをとれるという強みに繋がっているのだ。彼らの間では、ガチガチな体育系の上下関係の代わりに、互いに尊重し合い、自然に輪ができる関係性がもはやベースとなっているのだ。