子どもの成長に影響するのは「愛情」よりも「安心感」だった

世代間連鎖を防ぐ子育て論〈15〉
信田 さよ子 プロフィール

世代間連鎖を防ぐ2つのキーワード

では、世代間連鎖に関して専門家はどのような研究を行っているのでしょう。

日本子ども虐待防止学会(Japanese Society for Prevention of Child Abuse and Neglect)は1994年に研究会として発足し、2007年に学会となりました。虐待にかかわる広範な職種の人たちにより構成され、世代間連鎖に関する研究がいくつも発表されています。

 

それらの研究から浮かび上がる重要なキーワードは2つあります。ひとつは「アタッチメント」、もうひとつは「感覚否定」です。この2つの言葉から、世代間連鎖を防ぐことを考えてみましょう。

「アタッチメント」はイギリスの児童精神医学者であるジョン・ボウルビィが提唱したもので、日本語では「愛着」と訳されます。

彼は精神分析家でもありましたが、フロイトの提唱したエディプスコンプレックスに代表されるような「性にまつわる発達段階に添って子どもが成長する」という理論に疑問を持っていました。

そして、「子どもの成長は人生早期の母子関係に深く影響を受ける」ことを理論化したのです。子どもが母親的存在から引き離されることを「母性剥奪」と名付け、多大な子どもへの影響を指摘しました。

ボウルビィの理論は、3歳までの子どもは母親がそばにいて育てるべきであるという「3歳児神話」、母親がすべてを犠牲にしてでも育児に専念しなければ子どもに影響が出るという「母性神話」の強化に利用されたことで、批判の対象とされました。

ところが、子どもの虐待が現実的な問題として浮上し、被虐待児のケアが重要な課題となるにつれ、再びアタッチメント理論が注目されるようになったのです。

アタッチメントは、「子どもが不安を感じたときに、養育者にくっつくことで安全と安心感を回復するシステムである」と定義されます。

これをよく読むと、アタッチメントは「愛情」を表しているのではなく、むしろ危機的場面を切り抜けるために必要な「安心感」を表していることがわかります。

つまり、アタッチメントは「親から子どもに与えるもの」(愛情)ではなく、「子どもの側が親に求めるもの」(安心感)なのです。

子どもの側の能動性が前提になっていることが重要です。この言葉は、しばしば親から子への愛情として誤解されますが、そうではないことを強調したいと思います。

「アタッチメントが適切に発達する」ということは、子どもが出会う多くの困難や苦痛に対して、最終的に安心できる、つまり人生のよりどころとしてのイメージを持てることを表しています。

「安心感」の持てない子どもに起こること

アタッチメントのシステムが子どもの成長とともに安定的に発達すると、満2歳ごろから、自分と他者との関係性について、心の中のイメージが構成されるようになります。これを内的作業モデル(Internal Working Model)と呼びます。

「自分の感覚は世界から受容されるはずだ」「他者は自分に安心感を与えてくれる」という信頼感が育てば、子どもの心の中には、世界とは、他者とはそのようなものである、というイメージが形成されることになります。

ところが、そのような関係が得られないこともあります。

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求めてもケアが得られない、安心し切っていたのに突然それが恐怖で中断される、信頼しようとした存在がもっとも恐ろしい存在となる、やさしくされたかと思うと突然放っておかれ脅かされる、といった経験の数々は、子どもに混乱と恐怖、アンビバレンス(両立不能な感覚)を与えるでしょう。

一貫性がなかったり、まったく関心が払われなかったりする状態が続くことで、子どもは混乱するのです。

内的作業モデルがうまく形成されず、安心できる定点のようなものがどこにもなかったとしても、子どもたちは成長せざるを得ません。それは親子関係、対人関係におけるさまざまな特徴を生み出すことになるでしょう。

たとえば、ほんとうはケアを求めているのに、わざと求めなかったり、ケアなんか必要ないという態度をとったりします。

危険な行動を起こしたり、相手を攻撃したりすることで、ケアを求めていることをわかってもらおうとすることもあります。ときには、反対に相手をケアする側にまわったりします。

それ以外にも、アタッチメントが安定的に形成されていないことは、周囲から見るとわけの分からない行動をとったり、ときには過剰にいい子に見えたりという極端さを生み出します。

それらは、たいてい周囲の大人から「本人の個性」「性格」「遺伝」とされがちですし、本人たちもそう思い、成長し、結婚し、やがて親となる時を迎えます。

アタッチメントがどのように形成されているかを、多くのひとは自覚することはありません。目には見えませんし、自分はそういう人間だと思っているからです。しかし育児という事態に直面したとき、それが「感覚否定」という問題となって再浮上するのです。