子どもの成長に影響するのは「愛情」よりも「安心感」だった

世代間連鎖を防ぐ子育て論〈15〉
信田 さよ子 プロフィール

今回の母親逮捕について、私は彼女に虐待容認の責任がないとは思いません。いかなる理由があろうと、親としての責任は問われるべきだと思います。

しかし、2012年から面前DVという言葉によって、DVの目撃が子どもへの心理的虐待とみなされるようになり、警察はDVの通報があった場合、そこに子どもがいれば心理的虐待として児相に通告することになりました。

 

野田市の事例は、沖縄県在住時にすでに被害児の祖母から、虐待とDVに関して自治体窓口に相談があったといいます。千葉県においても、母親はDVに関して「ないとは言えない」という言い方で述べています。

私が納得できないのは、一切DV被害という視点を捨象し、死亡した女児に対しての面前DVという視点からの介入がなかったことにも触れず、母親を虐待黙認による加担者として逮捕したことです。

そこには、母がどのような被害を受けていようと、子育ての最大の責任は母にある、その母が虐待を見過ごした・協力したということに対する、警察による(社会全体の)制裁を見ることができます。

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母性愛幻想がもたらした「世代間連鎖説」

このような母に対する姿勢は、「お母さんの素晴らしさ・母の愛礼賛」と表裏一体だといえます。「自分のおなかを痛めた子どもは、何をおいてもかわいいはず」という信仰が、あの母親逮捕の映像を生み出している気がするのです。

いったいなぜ子どもにあんな残虐なことができるのか、その理由は何かという疑問に応えるように、1990年代から登場したのが「虐待の世代間連鎖説」です。

それは「虐待する母はその母からの虐待被害者である」というものでした。そこに父親は登場せず、あくまで女性に限局された被害の物語だったのです。

世代間連鎖説は、虐待という「母性愛幻想」を打ち砕く事実に対しての、ひとつの回答でした。いっぽうでそれは、母自身の責任追及を緩和する役割を果たしていたと言えます。

虐待が世代を超えた女性だけの問題となることは、いくつかの影響を与えました。

すでに述べたように(1)世代をさかのぼることで母親個人を免責したこと、そして(2)男性(父親)の役割を不可視にしたこと、(3)まるで運命論のように多くの女性たちを縛り、育児不安を高めることになったことです。

本連載は(3)の「呪縛」を解くことを一つの目的としていますが、ここでは(2)に注目し、男性(父親)における世代間連鎖について述べることにします。

昨年の目黒、今回の野田の2つの虐待事件の加害者である2人の父について、その視点は何らかの手がかりになるかもしれないからです。

父のDVを見て育つ息子

2007年からNPO法人主催でDV加害者プログラムを実施していますが、10年以上の経験から印象に残っているのが、彼らの父との関係です。

詳細は省きますが、参加者の男性の8割以上が、「子ども時代に父から母へのDVを目撃した」と述べています。幼いころ、父の暴力から母といっしょに逃げた経験のある男性は珍しくありません。

海外の調査研究によっても、DVをふるうリスクの大きな要因が、子ども時代に父から母への暴力に曝される(見たり、聞いたりする)ことだと述べられていましたが、その影響が想像以上に深いこともわかってきました。

さらに男児と女児とは影響が異なることも徐々に明確になっています。DV目撃の影響には、ジェンダー差が認められるということです。

トラウマの影響の表れ方を、単純に男女で二分できるわけではありませんが、大雑把に分ければ、女児は「自分自身を攻撃しがち」であり、男児は「他者を攻撃しがち」という傾向があるといわれます。

もちろん例外はありますが、父が母に暴力をふるうのを日常的に見ることが、男児の学校でのいじめ行動、弟や妹への暴力、思春期の暴力につながりかねないのです。

さらに、父の態度から「暴力によって解決できないものはない」という信念・認知を刷り込まれることも大きいでしょう。このように、母ばかりでなく、父もその父親からの世代間連鎖と無縁ではないのです。

女性とは異なり、妊娠・出産というライフイベントがどこか他人事であるだけに、自分の生育歴を振り返る機会が男性には少ないことも、無自覚な連鎖を生む危険性につながりかねません。