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# 自由民主党

日本の政治はどこから大きく変わっていったのか

小泉劇場に巻き込まれた政治記者の告白

小泉劇場の真っ只中で

内閣官房長官などを歴任した野中広務がこの世を去り一年が過ぎた。私は、その政治と時代を振り返り、昨年、『影の総理と呼ばれた男』を上梓した。そこには野中とその世代への贖罪のような思いがあった。

 

2003年9月9日、野中は、次の衆議院解散をもって政界を引退すると表明した。場所は自民党本部の会見室。この時、自民党を担当していた私は、隣接する記者クラブにいたが、会見場に足を運ぶことはなかった。

当時の内閣総理大臣・小泉純一郎に関わる原稿に追われ、野中会見の取材は後輩記者たちに任せっきりだった。記者クラブに流れてくる野中の声を何となく聴きながら、大きなショックもなかった。時は小泉の劇場型政治の真っただ中。私は、その取材に夢中だった。

野中は、同月20日に行われる自民党総裁選挙に、同じ派閥から元運輸大臣の藤井孝男を担いで挑んでいた。この会見で退路を断ち、背水の陣を敷いたものの、小泉の再選が揺らぐことはなかった。

「抵抗勢力」の首領に祭り上げられた野中は、すでに小泉との政治闘争に敗北していたのである。

私には、この会見が敗北宣言のようにも聞こえた。「まあ、そうだろうなあ」と冷ややかな思いが頭をかすめたことを覚えている。今振り返れば、それだけ私自身が「小泉劇場」に支配されていたということだ。

「影の総理」野中広務の知られざる魅力

政治権力を極める人間は、時に魔性の魅力を放つときがある。小泉以前、政治記者の多くは野中の魔力に魅了されていた。その源泉は、なんといっても人間味にあった。

私は1990年代前半に野中を担当したが、いわゆる「朝駆け」で宿舎を訪ねると、たまに一対一の「サシ」になることができた。そんな時、野中は「朝飯食べてないだろう」と言って、自ら餅やパンを焼いてくれた。テレビを見ながら一緒に食べたことが、私にとっては懐かしい思い出だ。

多くの野中番にもそれぞれ思い出があるに違いない。ある記者は出張先でともに温泉に入って背中を流しあった。ある記者は「仕事が忙しくて家族サービスをする時間もないだろう」と言われ、地元京都での家族旅行を手配してもらったという。私の次の担当も、そのまた次の担当も野中に心酔していった。

そうさせることは野中の真心でもあり、そして記者を手なずけるための戦略でもあっただろう。どうであれ、彼を取り囲む記者の輪は、どんどん大きくなっていった。

その一方で、担当を外れた私の足は、野中のもとから徐々に遠のいた。後を引き継いだ時々の番記者に対する遠慮もあった。私以上に心酔する後輩記者の輪をかき分けてまで、その懐に入り続けようとすることは気が引けた。

私自身、その後、野中の政敵も多く取材する中で、離れた立場から見るようにもなった。そして何よりも、野中が権力の階段を駆け上がるにつれて、その存在は、我々が最も厳しくチェックしなければならない対象となっていたのだ。

長引く平成不況、北朝鮮の脅威など、野中が「影の総理」として主導した政治は深刻な課題に直面していた。しかし、目に見える打開策を打ち出せなかったことも確かだった。

極めつけが2000年の森喜朗政権の誕生劇だ。野中ら実力者「五人組」が密室で主導したことを、多くの人々が批判した。見えにくく、複雑で、曖昧な政治に、私自身も苛立ちを感じていた。森内閣の支持率は低迷が続き、「決める政治」への改革の機運が高まっていた。