東大から「内定取り消し」を受けた大学教授がどうしても伝えたいこと

約2年裁判をした結果とその教訓
宮川 剛 プロフィール

教員が生身の「人間」として扱われる大学に

大学での研究や教育などの活動の評価は、客観的な基準でなされるべきであり、個人的な私情を交えることは厳しく控えられるべきです。

しかしながら、教職員の被雇用者、労働者としての側面については、大学は教職員とその候補者を生身の人間として暖かく扱うべきだと考えます。

私事ながら、今回の内定取り消しに伴い生じたエピソードのうちの一つを以下に記します。

私の採用を「白紙」にするとの連絡を受けた時点で、私は、家族に対して東京大学の教授に就任することになった旨を既に告げてしまっていました。

〔PHOTO〕gettyimages

東京で1人暮らしをしていた母は、パーキンソン病を患っておりました。愛知県で働いている私はそのことを常々不安に思っており、これが私が東京大学に応募した大きな動機の一つでした。

母は、中学までしかでておらず、いわゆる「学」がなく、知っている大学といえば東大を含めた東京六大学くらいなものですが、たいへん苦労しながら私を育ててくれました。

母は、「お母さん、剛が東大の教授になってくれて鼻が高いよ。苦労してがんばってきたけど、本当良かったよ」といって、涙を流して喜んでおりました。また、親戚や知り合いにこのことを自慢してしまったようです。

その母に対して、私の採用が「白紙」になったと説明した場合、母が受ける衝撃や、知人一人一人に発言を撤回して回らなければいけない精神的・肉体的負担は深刻であることが予想されました。

パーキンソン病を患っていただめ、精神的ストレスで神経細胞死が加速する恐れが高いとも考えられました。そのため、いま、東大とは条件の交渉で問題があって、現在、弁護士さんを交えて相談中なんだよ、という具合に母には説明しておりました。

母は私とその家族が東大の教授として帰京することを心待ちにしていたのですが、そうしていたところ、残念ながら、つい先日、一人暮らし中の事故が原因で逝去してしまいました。

 

繰り返しますが、以上のような「わたくしごと」は、仕事の評価や人事選考などには一切関係させるべきではないと思います。

しかしながら、私たちは、家族や友人とともに、喜んだり悲しんだりしながら毎日を必死に生きている人間です。

仕事をする人間の背景には、このような生身の人間とその家族の生活が存在していることは、雇用機関としての大学は十分に配慮するべきだと考えます。

そしてそのような配慮が十分になされた、人間に優しい雇用システムが整備されるべきでしょう。

一般論として、現在の大学の仕組みの多くは、人やその家族にあまりにも冷たすぎるシステムといえると思います。

「着任のその日が来るまで、いつでも内定が覆されうる」というような仕組みが、人とその家族にやさしいはずがありません。

この件に限らず、任期制教員の問題、待遇のわるい非常勤講師の問題、雇い止め問題、テニュアポストをめぐっての厳しすぎる競争なども同様です。

これは一大学の問題ではありません。人間としての教職員が、安心して家族との日常生活を送ることができ、その上で研究教育に真に専念できるような労働環境を、研究者コミュニティが一丸となって整備する必要があると考えます。

日本では約半数の若者が大学を経て社会に出るわけです。好ましい社会とは、個々の人間が、社会を信頼し、社会から信頼されつつ、それぞれの特長を発揮しながら、安心して着実に社会に貢献できるための環境が整備されている社会だと思います。

社会から非人間的に、道具のように冷たく扱われている教員が、そのような好ましい社会を担う暖かみのある人間を教育し社会に送り出すことができるでしょうか。

社会に出る若者の半数が経験する大学の仕組みとは、学術界という一つの小社会において、「好ましい社会」のあり方を体現し模範となるようなデザインであるべきではないでしょうか。

最後になりましたが、上記のような和解条項を得ることができたのは、本件の社会的な意義・重要性を認識され、ご尽力いただいた松田綜合法律事務所の久保達弘、兼定尚幸、三崎拓生の3名の弁護士の先生方のおかげです。この場をおかりしてお礼を申し上げます。

なお、図1〜図3は、今回の裁判においての東大側からの準備書面より抜粋したもので、第三者でも裁判所に保存されている間は閲覧請求が可能です。