東大教授が教える、歴史を〝正しく〟学ぶための「4つの手順」

<日本史のツボ>のツボ 第1回その①
本郷 和人 プロフィール

「根拠」に基づき「史実」を確定する

② 史料に基づいて、史実を復元する=歴史事実の確定

大人の社会では、自分勝手な判断で、ものごとを主張することは許されません。仮にそうしたとしても、根拠に基づいていないとして、その訴えは、知性を持つ人からは退けられるだけです。だから新聞記者でも、雑紙の編集者でも、「ウラを取る」ことが何よりの基本とされるのです。

歴史学でも同じです。根拠に基づく、イコール史料に基づく。そしてその上に立って、歴史的な事実、すなわち「史実」がはじめて確定されていく。

ここで大切になるのが史料の信頼性であり、さらには、その史料の信頼性を考量する姿勢です。信頼性は冷静に、感情を排して測らねばならないのです。

私はこうした結果が欲しい、と願望が先に立つことは許されない。かわいらしい研究者が「STAP細胞はあります!」と涙ながらに訴えても、証拠がなければ認めてあげることはできないのです。

源義経は1189年(文治5年)に奥州平泉で藤原泰衡の手兵に討たれて没しました。だが彼の死を悼む後世の人々は、彼が包囲を脱出して北海道に渡り、さらにはユーラシア大陸に上陸してチンギス・ハーンになった、という伝説を作りました。

江戸時代の沢田源内は『金史別本』の日本語訳を発行し、そこに清の乾隆帝の文として「朕の先祖の姓は源、名は義経という。その祖は清和から出たので国号を清としたのだ」と書いてあるとしました。ただし、正式な歴史である『金史』に別本などないし、沢田源内はニセ系図を盛んに作成した人物として有名です。

明治になると、末松謙澄(ジャーナリスト、政治家、歴史家。帝国学士院会員、子爵)が留学先のケンブリッジ大学で「大征服者成吉思汗は日本の英雄源義経と同一人物なり」という卒業論文を書き、それが『義経再興記』(明治史学会雑誌)として日本で和訳出版されてブームになりました。

また大正年間、アメリカに学び牧師となった小谷部全一郎という人は、アイヌ問題に取り組むうちに北海道に残る義経の足跡に邂逅しました。

その真相を明らかにすべく大陸に渡って満州・モンゴルを調査した結果として、彼は「義経=チンギス・ハーン」説を確信し、1924年(大正13)に『成吉思汗ハ源義経也』を出版しました。この本が大ベストセラーとなったことが、「義経=チンギス・ハーン」説が現代に伝わる原因になったのです。

けれども、明治時代から、歴史学者はこの説を全く相手にしませんでした。

なぜかといえば、歴史的、もしくは科学的根拠が薄弱だからです。

ぼくは小谷部の本を読んでいませんが、ベストセラーになるくらいだから興味深く仕上がっているのでしょう。けれども、史料を読むときに「おもしろさ」は不要です。

史料を「正しく」「豊かに」読解する力

きちんと学んだ人であれば、だれでもその史料からこれだけの情報を取り出せる――この意味で、誰がやっても1+2は3になり、3+4は7となる算数・数学が科学であるように、歴史学も科学となる。

ただし、同じ史料を読んだとしても、そこからどれだけの歴史情報を「正しく」かつ「豊かに」取り出せるかは、個人の力量次第でしょう。

同じ史料を読んでも、鋭い人であれば、他の人が気付かない史実を抽出する。ここでまず、歴史研究者としての力量の差が表れる。ぼくたちは安易に歴史研究者という呼称を用いていますが、本当の歴史研究者というのは、史料を読み解くための確かな力量を持つ人のことであるべきです。

続く