東大教授が教える、歴史を〝正しく〟学ぶための「4つの手順」

<日本史のツボ>のツボ 第1回その①
本郷 和人 プロフィール

 「歴史学」とは何か?

歴史学はおおよそ、次の手順を踏むことになります。

① 史料を集め、解読する。(歴史資料を史料と呼ぶことにします) 
② 史料に基づいて、史実を復元する。(歴史事実の確定)⇔ 歴史研究者 
③ 史実を配置しながら、史像を構築する。(歴史像の呈示)⇔ 歴史学者
④ 史像を蓄積して、史観を編み出す。(歴史観を世に問う)⇔ 歴史家

順に説明していきましょう。

① 史料を集め、解読する

まず①。ここで言う「史料」を代表するものは、古い文書、すなわち古文書と、古い日記、すなわち古記録です。

ほかにも朝廷や幕府が編纂した歴史書(『六国史』や『吾妻鏡』など)、物語(『平家物語』などの軍記物語や『古今著聞集』などの説話集ほか)、絵巻物、出土資料、文化財などが有用です。

長い歴史と豊かな伝統をもつ日本には、ものすごく多くの史料が残っています。質量ともに世界一。これを収集し、読み説く。この作業を行う中心的な研究所が、ぼくが勤務している史料編纂所、ということになります。 

よくテレビ局などから、古文書などが発見され、新しい歴史の真実が解明されたりしませんか? と聞かれます。たとえば本能寺を襲うに至る明智光秀の真情を吐露した書状(手紙)がどこかの蔵から出てきた、となれば大発見になるでしょう。

でも残念ながら、そうした事態は事実上、ほぼ望み薄。

なぜなら、16世紀くらいまでの文書は、すでに史料編纂所をはじめとする研究機関があらかた調査してしまっているから。

そうした作業は明治から継続して行われているので、そこから漏れた古文書は、そもそもさほど多くはなく、さらにその中から衝撃の内容をもつものが出てくる確率となると、本当に低くなってしまうのです。

捨てられてしまった江戸時代の文書も…

いっぽう、江戸時代の文書はまことに大量にあります。あまりにも多いので、史料編纂所も、地方の文書館も、網羅的にデータを取ることがきわめてむずかしいほどです。

これはぼくの友人、商社勤めで休みの日だけ木食上人について研究しているT村くんに聞いた話ですが、彼はあるとき、あるお寺さんを訪ねました。歴代の木食(もくじき)上人のうち、木食白道(もくじき・はくどう 1755~1826。山梨郡上萩原村の出身。ちなみにとなりの中萩原村は樋口一葉ゆかりの地)の史料をもっていることが分かったからでした。

彼が土産をもって丁寧に来意を告げると、土産は受け取ったものの、そうしたものは寺にはない、と住職は面倒くさそうに答えたそうです。あるはずなんだがなあ、とは思ったものの、住職のとりつく島もない態度に気圧されて、彼は東京に帰ってきました。

ところが驚くべきことに、その1週間ほど後、彼が見たかった文書がネットオークションに出品されたのです。「こんなものがあるとまた変なヤツが来て厄介だ、二束三文でも良い、生ゴミに出すよりマシだ」と考えたんだろうね、とT村くんは苦笑いしていました。

掃いて捨てるほどある、とはものの喩えですが、江戸時代の文書は本当に捨てられているのです。哀しいかなそれが現状です。

地域の公文書館などをセンターとして、調査と整理を急ぐべきだし、実際、現場の皆さんはそれはがんばっているのですが、何しろお金が足りません。