東大教授が教える、歴史を〝正しく〟学ぶための「4つの手順」

<日本史のツボ>のツボ 第1回その①

日本史は面白い。しかし、「ほんとうのこと」を知るためには、やはりスキルと知識が必要だ。歴史学ぶ、歴史学ぶ――そのために必要なこととは?
〝本物の歴史の学び方〟を教える、東大教授・本郷和人氏の連載「<日本史のツボ>のツボ」がスタートです! 

第1回・前編では「学問としての歴史学とは何か?」を解説します。日本史研究の第一歩、史料解読の重要性とは?

「エンタメの歴史」と「学問としての歴史学」

歴史研究者にも2通りあって、歴史素材の解析に喜びを見出す人と、もう闇雲に歴史が大好きな人がいます。前者は冷静で科学的な態度が特徴で、いっぽう後者は時に悪のりして、いわゆるオタク臭を漂わせる。

ぼくはといえば、まさに後者の典型で、海音寺潮五郎や司馬遼太郎などの歴史小説、柴田錬三郎・滝口康彦の時代小説、綱淵謙錠の史伝、それに桑田忠親の監修本などを読みあさり、仏教芸術(とくに建造物)や仏教哲学が大好きで日本中世史を専攻することに決めたのでした。

それからほぼ40年、いまも歴史が大好きで、厭きるということがありません。だから1人でも多くの人に、歴史に親しんでもらいたい。好きになってもらいたい、そう願っています。

大事なことは、大学で教わる「科学」としての歴史学と、エンターテイメントの歴史とは違う、ということです。歴史大好き、というところから歩みを始めたぼくは、それゆえに大学で「科学としての歴史学」を体得するのにものすごく苦労しました。

だからこそ願うのです、両者の共通領域を、少しでも広げられないだろうか、と。

歴史学だけの話ではないですが、この差異から生じる一番まずい状況は、「専門性を獲得している、あるいはその獲得を目ざしている者が、そうではない他者を貶める」ことでしょう。まだ論文の書き方も弁えてない研究者が、司馬遼太郎を「あれは歴史ではない」などと見下している場面に出くわすと本当に悲しくなります。

いや、若者というものは、そもそもチョンボをしながら成長するのだから、それでもいいのかも知れません。

でも、○○大学教授の肩書きを有する方が、「象牙の塔」に籠もって下々を睥睨しているさまは、悲劇を通り越して喜劇ですらあります。

社会への関わりを放棄してしまったら、学問は滅びるしかないでしょう。

文系学問の危機的状況

いまネットで普通に見られることですが、霞ヶ関の偉いお役人には、歴史学への投資は「ムダ」だと考え、それを堂々と表明している方が少なからず存在します。

確かに理系の研究は成果を明示することができるでしょう。このモーターを開発して応用すると洗濯の時間が短縮できるとか、この新エンジンによって排気ガスは一層クリーンなるとかというように。

でも、文化系の学問には数値化はそぐわない。

『源氏物語』を読み通したからといって、RPGではないのだから、目に見える形で個人機能がアップするわけではない。それでお役人は、「費用対効果が認められない」、「予算を削るべきだ」と主張する。

それについてここで反論するつもりはありません。ただ、彼らは実際にお金を動かす権限を持っています。その結果として、大学における文系諸学問の状況は、まことにまずい方向に進んでいる。待ったなし、それが今日の状況なのです。

だからこそ、社会に生きる多くの人に歴史の楽しさを知ってもらいたい、好きになってもらいたい。それによってこそ、歴史学の将来は辛うじて守られるのではないだろうか――そんな切実な思いのもとに、この連載を始めます。

興味があったら、ぜひ読んでみて下さい。