海外も注目!伝統の「ジャパン」漆を科学してわかった「すごい秘密」

縄文人も博物学者も愛用した理由
瀧澤 美奈子 プロフィール

塗師の工夫は合理的だった

したがって、漆をうまく「乾燥」させるためには、ラッカーゼ酵素が働きやすい適度な温度と湿度、さらには酸素が必要不可欠となる。

とりわけ、ラッカーゼ酵素にとって大事なのが湿度だ。ふつう、モノを乾燥させるには湿度が低いほうがいいが、ラッカーゼ酵素を働かせるためには湿度が高いほうが適している。

もともと中国周辺が原産といわれるウルシの木が、傷口をふさぐために分泌する樹液だから、高温多湿の環境でより早く固まるよう進化しているのかもしれない。これも、自然界のすぐれたしくみだろう。

そして塗師は、硬化の条件を経験的に熟知している。

作業場では「漆室(うるしむろ)」とか「漆風呂(うるしぶろ)」といって、漆を1層塗るごとに、湿度を保った半開きの押入れのようなところに制作途中の漆器を入れて塗膜の硬化を待つ。ラッカーゼ酵素の働きを促しているわけである。

【写真】硬化中の作品
  漆室に並べられ、塗膜の硬化を待つ作品たち

湿度が低いとなかなか硬化せず、良質な塗膜にならないが、かといって湿度が高すぎても急に乾いて塗膜表面に“ちぢみ皺”が生じる。硬化の工程には、塗師の長年の勘と経験がものをいう。

「湿度計も置いてありますが、その数字に頼ることはありません。表面を観察すれば、いまどうすべきかわかるからです。この冬はとくに乾燥して気温が低かったので、なかなか漆が乾かず、毎日、霧吹きや濡れタオルで漆風呂を湿らせて調整する必要があり、苦労しました」と牧野さんは話す。

想像をはるかに超える耐久性

以上のようなプロセスを経てできあがった漆の塗膜は、化学的に安定していて非常に耐久性が高い。漆という素材そのものが、9000年も前の縄文時代の遺跡から分解されずに出てきていることが、その強さの何よりの証拠だ。

それにしても、もともとウルシという植物が生み出した自然物である漆が、微生物によっても分解されないというのは驚きである。

漆器は、その漆を硬化させながら何層も塗り重ねているため、頑丈でもある。製法によっては車のキーで引っ掻いても傷がつかないほどのものもある(一般的な漆器は、フォークなどをあてると傷がつくことがあるので要注意)。

【写真】ヤスリがけ
  作業の工程ではヤスリもかける。漆の塗膜は、それほど丈夫だ

イギリスの博物学者も漆を愛用した

これも耐久性や頑丈さを示すひとつの例といえるだろうか、じつは漆は、19世紀イギリスの博物学者にも愛用された。

19世紀には深海をふくむ世界のすみずみから、ありとあらゆる動植物が収集され、「液浸標本」がつくられたが、標本の組織を壊さずに長期保存するためのさまざまなノウハウが投入された。

イギリスの科学誌「ネイチャー」の1877年の記事によれば、アルコール浸けの試料を入れた液浸標本を密閉する際には、とくに特別な注意が払われている。動物の膀胱に始まり、錫(すず)箔、シート状の鉛、ふたたび膀胱、1〜2層の黒のペンキが重ねられ、そして最後に「日本の黒漆(black japan varnish)」を1層塗って仕上げた。

頑丈で密閉性が高く、物質の出入りを遮断する役割において、漆は最後の砦となったのだ。このようにして閉じられた標本瓶のアルコールは、何年間も蒸発しなかったという。