一度「絶望」を知ってゼロになる浪人生、捨てたもんじゃない

現代文講師が語る挫折と蹉跌のススメ
三浦 武 プロフィール

人は「他者の受容」によって成長する

浪人時代というのは、なかなか捨て難い魅力にあふれています。なにより自分に自信がない。なにせ受験に失敗しましたから、自分を真に信用することが原理的にできない。根柢において自意識を挫かれている

そうなれば他者に対して自分を開く他なく、その他者を受け容れることもできるでしょう。そしてその「他者の受容」というところにこそ、人間の内的成長のカギがあるわけです。

それはそうでしょう。他者との遭遇がなければ、葛藤はなく、葛藤がなければ、より高次への展開などありはしない。自分に自信があり過ぎ、自意識過剰になっていると、自分の内的な価値観に矛盾するものは受け入れ難い。

自分の価値観に合うものはどんどん吸収できるが、それでは腹が膨れるだけで、変貌を伴う自己革新などは起こらない。自分と矛盾する他者と否応なく対面すればこそ、人は不毛なナルシズムから解き放たれ、自己の解体と新たな自己の創造への契機を得るわけです。

これは一種の「堕落論」、「没落」の思想といっていい。イビチャ・オシムという人がサッカー日本代表チームの監督に就任したとき、記者会見で、今の日本に必要なものは何か、と問われました。

その頃、日本チームの課題といえば、「決定力不足」すなわち「得点力の強化」と相場が決まっていた。問うた記者も、そういうステレオタイプの中で質問したに違いない。まことに退屈な問答に終ると思われました。

ところがオシムさんはそこで思いがけないことを言ったのです。「世界の強豪と対戦して、自らに絶望することだ」!

エゴイズムから隔たった「知性」

予備校にやって来てうまくいくのは、たとえば最前列に座って、口を半分開けて聞いているヤツだったりします。時間いっぱい、オンオフなしで、私のくだらないおしゃべりを全部聞いている。「構え」や「気取り」や「衒い」がないのです。

授業内容が大事じゃないとはいいませんが、どうせたいしたものではない。それよりも重要なのは「姿勢」でしょう。あるいは、勉強しようとしている内容とその場に対する「敬意」です。

その「敬意」と「姿勢」があれば、「愚かな自分」を晒すことなどわけもない。運動部でそれなりにうちこんで来た諸君に飛躍を遂げる生徒が多いという印象がありますが、運動部というのは、未熟な自分を晒し続ける世界ですから、そんなことが関係しているかも知れません。

そうやって、生身の未熟な自分、ゼロの自分を自ら受け入れ、晒してしまう、そんなところに「秘訣」がある。その謙虚さがあればこそ、足許の小さな段差を全てとして、一段ずつ一段ずつ上って行けるし、その僅かな上昇を喜びとすることもできる。

そうなれば、もはや、成長しないわけがないのです。

また、あまり気づかれていないことですが、予備校生の大学入試は「団体戦」です。謙虚に、衒いなく、わずかな一歩への手応えと喜びをもって生活している諸君は、同じようにやっている仲間を自ずから尊重できますから、その教室にある種の連帯感をもたらしてくれます。

知らず知らずのうちに支え合い、ともに自己と格闘している。「予備校にいかずに合格!」などという「称賛」を耳にすることがあります。それを否定するつもりもありませんが、塾や予備校を経由したからこその「知性」、エゴイズムからははるかに隔たった「知性」というものもあるのです。

これはちょっと強調しておきたい。