「普天間運用停止」本当に辺野古以外の解決はなかったのか

元米海兵隊幹部が振り返る
ロバート・D・エルドリッヂ プロフィール

普天間問題の背景と争点の不条理

実は、普天間の運用停止、つまり閉鎖を短期間で実現しようと思えば、3つプラスアルファの現実的で可能な選択肢はあった。それぞれは違っていたのが、異なる方法論を反映したからだ。

だが、3つとも、「何を解決しようとしているか」という同じ前提を共有している。

一方、長年の間、政府の関係者は、何を解決しようとしているのかを分かっていなかった(今もそうだが)。

この問いこそが、「沖縄問題」の複雑さや真相をめぐる誤解を象徴している。

「沖縄問題」とは何かをきちんと定義できる人もおらず、そもそも「沖縄問題」が存在しているかさえ答えられない。

多くの人は「沖縄問題」は、「基地問題」の別の言い方で、そして米軍や自衛隊の基地は沖縄での諸悪の根元だと批判している。しかし、そのような議論は事実に反するだけではなく、基地が果たす安全保障上の機能や経済的、社会的、そして文化的な役割の客観的な(もちろん肯定的も)評価を反映していない。

この「沖縄問題」を、私は以前から「結び目」だと説明している。複雑に絡んでいる紐を辛抱強く丁寧に対応したら結び目を割合簡単に解くことができるが、無理やりに引っ張ったら、その結び目はより固くなる。

15年前頃の2004年から06年に行った在日米軍再編協議の際、米政府の関係者は、沖縄問題を「基地問題」として偏狭かつ一方的に定義したが、実際には沖縄問題は数多くの課題からできている。基地問題は確かに大きくて目立つ。だが「沖縄問題」の全てではない。

基地問題に関する誤解は、私がかつての論文や複数の本で、沖縄問題の「神話」と呼んでいるものだ。神話ではあるが、メディア、学者、活動家や政治家は、嘘(例えば、既存のキャンプシュワブの拡張だけなのに、辺野古は「新基地」という)を繰り返すことによって、新しい「真実」が生れ、政府は決して勝利できない対応に追われる。

その結果が、間違って「世界一危険な基地」と言われることで始まった普天間返還問題だ。

でも、73年以上前の建設から今日に至るまで、亡くなった県民、ケガされた県民は1人もいない。そもそも普天間飛行場は本当に世界一危険なのだろうか。

過去23年間、日米両政府の関係者は、この間違った認識に基づいて、宜野湾市の約4分の1を占める普天間の重要な機能を(県内で)移設しようとしてきた。

23年という歳月は、いうまでもないが、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日から沖縄返還が実現した1972年5月15日までの20年間より長い。しかもまだ実現していない。

1施設の移転だけで、こんなに長くかかっているのは、やはり問題を孕んでいる案だからだ。

普天間を返還するという決定は、1996年初期に、当時の橋本龍太郎総理とクリントン大統領との間の首脳会談で議論され、そして同年末、前年の1995年11月に設置し、訓練や基地の整理縮小や普天間の条件付き県内移設に伴う返還などによって沖縄の負担軽減について提言を纏める、1年間の任期のあった「沖縄に関する特別行動委員会」の勧告書を受けて日米の外交・防衛関係の閣僚会議である、いわゆる2+2で承認された。

橋本総理の要請は、長年、沖縄の関係者が要求したものに基づいて行ったのだが、特に95年9月に、キャンプハンセンを抱えている金武町で発生した海兵隊2人を含む3人の米兵による12歳の少女の誘拐、暴行の事件に対する政府の対応に怒りを覚えた当時の大田昌秀沖縄県知事は、強く要請したその1人であった。

 

それ以降、数多くの勧告が実施され、沖縄県内の「負担」は名実共に軽減されてきた。

普天間飛行場に関して言えば、合計14機の輸送機(KC-130)を2014年夏に、新しい滑走路や格納庫が完成したばかりの山口県にある海兵隊岩国飛行場に移転した。時々、1機、2機が訓練や隊員やその装備を移動するために普天間に一時的に戻ってきている。

それは地元のメディアなどが批判しているが、これが運用上必要な措置であることは最初から皆分かっており、それを批判すること自体は論外だ。

これは、軍が分散することがあまり良くないと典型的な事例だと言える。特に、半世紀以上活用している海兵空陸任務部隊(MAGTF)という作戦概念に基づいて行動している米海兵隊にとっては。真の統合組織である海兵隊として、歩兵、兵站、輸送手段、そして司令部機能が隣か、近くにないと、有効かつタイムリーに機能できない。

例えば、火事やその他の緊急状態への対応を考える場合、消防士を1ヵ所に、彼らの車(消防車)を別のところに、装備品はまた違う場所に、そして、消防署がさらに別の場所にあったら大変なことになる。

同じように、日米同盟、安全保障条約を維持すると言うことが大前提である限り、アメリカや日米同盟にとっての即応対応部隊であり、強力で統合的な組織である海兵隊を、必要以上に、複数の都道府県を跨って、展開するために再結集せざるを得なく貴重な時間を失ってしまうような状態をつくってはダメだ。

沖縄の海兵隊が朝鮮半島から南シナ海までカバーしている以上、この条件を満たす日本国内の別な場所に集約出来る場合以外、やはり沖縄県の地政上の優位性を捨てるわけに行かない。これは日米の安全保障協力を放棄することになる。

これは有事の際だけではなく、自然災害の対応でも言える。そのため、米海兵隊は2011年3月に東日本大震災の直後から、沖縄に配備していたMV-22Bオスプレイを2013年11月発生したスパー台風の直ぐ後、初めて投入し、フィリピンに対して迅速に救援活動を展開できた。

2011年の前に、オスプレイが日本に配備されていたら、我々の対応はさらに早かった。前に使用していたCH-46は、飛行速度が遅くて、空港に定期的に降りて給油する必要があるため仙台まで3日間かかったが、空中給油できるオスプレイなら3時間で東北まで行くことができる。

以前から予定し、米側が一生懸命に情報公開をしていた、2012年夏から秋にかけてのオスプレイの最初の中隊の配備に対する、極めて煽動的でネガティブな報道にも拘わらず、搭載できる量の多く、飛行機のように静かに飛べる、速度が速い、航続距離が遠い、高度が高い、空中給油できる、室内のシミュレーターで多くの訓練を済ませるMV-22は、普天間の「負担」を具体的かつ大幅に軽減している。

しかし、悲しいことに、こうした事実は日本や日本にいる外国のメディアで紹介されていない。