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女性の社会進出を促した一番の功労者は「生理用ナプキン」だった

知られざる「生理用品の歴史」

日本で生理用ナプキンが発売されたのは、1961年のことである。

高度経済成長期に社会へ進出した女性たちを陰で支え、彼女たちから熱烈に支持されたのが、生理用ナプキンだった。もしこの時期にナプキンが発売されていなかったら、女性の社会進出はもっと遅れていただろう。

女性の社会進出を、生活を、人生を支えてきた生理用品。その歴史を知らずして、女性の歴史は語れない。2回に分けて、日本の生理用品の歴史をふり返る。

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平安時代の生理用品とは?

ナプキンが発明される以前、日本の女性たちはどのように経血を処置していたのだろうか。残念ながら、経血処置についての記録が残っているのは平安時代以降なので、それ以前のことはわからない。

現在も生理用品のない地域、例えばインドの農村地帯では、納屋や中庭などに隔離された女性が、砂や灰、枯葉などに経血を吸収させていることから、大昔、まだ布や紙がなかった時代は、同様に処置していたのではないだろうか。

麻布や葛布(くずふ)が生産されるようになると、その端切れをナプキンのように当てたり、タンポンのように詰めたりして使っていたと考えられる。

 

平安時代に書かれた文献には、「月帯(けがれのぬの)」という布製の生理用品についての記述がある。

また、貴族の女性たちは真綿をナプキンのようにして使っていた。そして、月経中は「穢れの身」であるため参詣を慎んだ。

あまり知られていないが、「血の穢れ(経血を忌むこと)」は、平安時代の『貞観式』(871年)や『延喜式』(927年)に規定されたのが最初である。

以後、仏教や神道の教えも相まって、月経不浄視に基づく慣習が、1872(明治5)年に法令で廃止されるまで脈々と受け継がれた。

「血の穢れ」が廃止されたきっかけは、大蔵省を訪ねたお雇い外国人が、妻の「出産の穢れ」を理由に休んでいる役人に呆れ、抗議したことだと言われている。

公に廃止されたあとも、地域社会では月経小屋への隔離や、「別火(穢れは火を介して移るという考えから、炊事や食事を別にすること)」といった慣習が続けられていた。1970年代まで月経小屋が機能していた地域もある。

政府が女性たちの月経を管理

江戸時代に入ると、木綿を丁字型に縫い合わせた「丁字帯」が生理用品の主流となった。また、布や漉(す)きかえした粗末な紙を丸めてタンポンのように詰めている女性も多かった。

明治時代になると、「富国強兵」を目指す政府が、「母体」となる女性たちの月経を管理し始める。

例えば、文部省が全国の女学校に対し、教師が女学生たちの月経日を把握し、月経中に体育の授業をさせないなどの配慮をするように布達している。

また、月経中に頭を使うと生殖機能に悪影響を及ぼすと考えられていたため、月経中の女学生には数学の試験を受けさせない学校もあった。