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中国・福建省の「マニ教村」を、マニ教研究者が訪ねてみた

マニ教シノワズリの幻影
3世紀前半、メソポタミア中部に誕生したマニ教。ヨーロッパから中央アジアまで布教した世界宗教であったにもかかわらず、その後跡形もなく消え去ったという。しかし、21世紀になって、中国の福建省にマニ教徒の村があることが報じられた。『マニ教』『古代オリエントの宗教』の著者がその村で見たものとは?

孤立し、滅び去った宗教

日本では、マニ教は久しいあいだ、一部の好事家のあいだでだけ知られる幻の宗教だった。自ら「ザラスシュトラ(=ゾロアスター)とブッダとイエスを止揚する最終預言者」という途方もない称号を名乗ったマーニー・ハイイェー(216年~277年)の教えは、現在通用しているキリスト教とはまったく別個に「真のキリスト教」を名乗ったが故に、キリスト教が反転したネガとして、つまりは「知られてはいけない何者か」として、近年まで故意に幻影化されていた。

この世を精神(光)と物質(闇)の闘争の場と観じ切り、人間精神は暗黒の肉体の中に捕囚された光の一片だと説くその教えは、当然の論理的帰結として、切羽詰った厭世主義を主張する。世に名高いグノーシス主義思想である。

しかし、イエスの受肉を否定し、十字架上の贖いを否定するが故に、それは(後世において正統とされた)当時のキリスト教徒から熾烈な迫害を受け、一時はヨーロッパから中央アジアまで布教した世界宗教だったにも拘らず、現在では跡形もなく消え去った……と考えられていた。

このように、3世紀のペルシア帝国という時間的にも空間的にも日本から遠く隔たった異郷の地で、すこぶる観念的で壮大な宇宙観を提示して見せたこの思惟の体系は、孤立し滅び去っていることによってこそ、栄光に包まれているように、筆者などは感じていた。

「滅びしものは懐かしきかな」(若山牧水)の歌の如く、この破滅的な教えは、滅びていなくては存在意義を主張できないというパラドックスを秘めているのである。それ故に、まったくそのような観点から、筆者は『マニ教』(講談社選書メチエ、2010年)と『古代オリエントの宗教』(講談社現代新書、2012年)という2冊の書物を上梓した。

マニ教徒の村が発見された

しかるに、20世紀末葉から日本でソグド研究が長足の進歩を遂げ、かつてのシルクロード研究の一変種として、多少の研究者と多くの一般読者を獲得するに及び、ソグド人が担っていた宗教としてのマニ教にもまた、にわかに脚光が当てられるに至った。マニ教の昔のファンは、自分だけの寵愛の対象が――まったく別の角度から――白日の下に曝されたような気がして、若干拗ねているような状況である。

オールドファンからして見れば、マニ教とは、宇宙の果てまで見透かす神聖なストーリーを、それに気づいたごく少数の人びとだけが、郷愁をもって玩味すべき対象であった。それでこそグノーシス主義の面目躍如なのであって、まちがっても、現下の世界でマニ教にのうのうと生きながらえていられては、ファンとして困ってしまう。マニ教は、現在では滅び去った思想であるが故に美しく、決して現世的時間秩序のなかに引き摺り下ろしてよいものではないのである。

と、マニ教愛好者は、何はさておき思想的ノスタルジーの観点からマニ教を捉え、ペルシア帝国という文化的枠組みの中で完成されたその玲瓏たる静的宇宙に魅せられていたのだが、ここにさらなる資料上の――つまりはなはだ重大で手に負えぬ――叛乱が起こった。2008年に中国南部の福建省で、マニ教徒(中国語で明教徒)の村が発見されたとの報告が上がったのである。

これは、筆者から見れば、由々しき事態であった。遥か古代の異教の文献だけが高雅に語りだすべきこの世界の構造を、出し抜けに福建省の中国人が生々しく暴きかねなくなったのである。それは、すでに充足して静謐に安らいでいる異邦の世界観を無理に引き裂くような、野放図極まりない事態だった。

もちろん、あるいは、万が一、彼ら生き残ったマニ教徒とされる中国人たちが、突然抒情的に、さらなるマニ教的思惟の発展形態を垣間見せてくれる可能性も、なくはなかった。あのペルシアの詩的哲学体系が、中国南部というまったく別個の土壌に移植されたら、はたしてそこにどのような美しい花が咲くのか? という純粋に美的鑑賞上の好奇心も、わずかながらあるにはあった。