なぜ「小室圭さんは、いくら叩いても構わない」風潮が生まれたのか

誰も気づかない「男尊女卑」の深層心理
御田寺 圭 プロフィール

小室さんだけが「例外」なのか?

小室さんのような「(これまで皇室の女性を妻として迎えてきた『強くて頼りがいのある男性たち』に比べれば)何者でもない男性」を、国の象徴たる皇族が認めないようでは、一般の男性たちはますます「(社会的・経済的に)マッチョでないと受け入れてもらえない」という信念を強めるだろうし、また女性たちは「ショボい男に価値はない」という認識をあらたにするだろう。

小室さんやその関係者の言動に対して苛烈なバッシングがなされる様子を見るたびに、「この国ではそもそも、ほとんどの人が『男女平等』など本心では望んではいないのではないか?」と思わざるをえない。

〈多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、このような経緯ですから母も私も元婚約者の方からの支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。そのため、平成29年12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、私も母もたいへん困惑いたしました〉(小室さんが1月22日に発表した文書より)

しかしこう書くと、「それとこれとは話が別」という反論が必ず出てくるはずだ。つまり、小室さんが歓迎されていないのは男として甲斐性がないからでも、本人の資質のせいでもなく、家庭の抱える金銭問題があまりに大きいため、皇室全体のリスクになりかねないからだ――という反論だ。

 

こうした言説にも、正直なところ私はあまり納得がいかない。

家庭の事情から子どもが社会的・経済的に不利な状況におかれたり、いじめられたりするのは理不尽だ――などといつも気勢をあげている人びとはいったいどこへ行ったのか?

犯罪加害者の家族を「連帯責任」として糾弾する、世間の差別に憤っていた「リベラルな社会」のお題目はどこへ行ったのか?

小室さんにだけは、こうした原則も適用外なのだろうか?

「親の因果が子に報う」というような言い草は、許されないものではなかったのか?

小室さんが社会的・経済的に厳しい状況におかれている理由は、彼自身の資質によるものもあるかもしれないが、それが100%であるとはとても思えない。明らかに家庭の影響が大きいだろう。

「出自や家庭環境など、本人の努力でどうにもならないことで、人は差別されてはならない」という信念を持つはずの「リベラルな社会」の原理原則は、いったいどこへ行ったのか。彼に投げられる礫(つぶて)を、いまこそ止めに走るべきではないのか。彼の楯になってやるべきではないのか。