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今に生きる知恵——古代の巨人キケローに学ぶ

激動期の哲学者が捉えた、老いと友情

老年の生き方

このたび、古代ローマの政治家にして思想家・キケローの新しい訳書『老年について 友情について』(講談社学術文庫)を上梓した。

老年に「嘆かわしい」とか「惨めな」などの形容語を付けたホメロス以来、ギリシア・ローマでは老年は悲観的、否定的に捉えられてきた。

「帰臥」(=仕事からの引退)、「肉体の衰え」、「快楽の喪失」、「死が間近」という、その老年の難とされるものの一々に明快に反駁していくキケローの『老年について』は、「老年を極めて肯定的に描き出した、古典古代で最初のモノグラフ」と評される。

ただ、このテーマ、その内容は一人の思想家の純粋に哲学的な省察の成果というにとどまらない。

キケローは、最晩年、カエサルの独裁確立と、その結果の「自由の喪失と隷属」の中、弁論(=言論)を唯一の武器として国政を指導するという「これまで果たしてきた務めを奪われてしまった」状況下、「政治的な生」を離れて、ギリシア哲学のローマへの移植という使命に任じ、哲学書の執筆に没頭した。

本篇はその一環であるが、執筆時期は紀元前44年1月以降、カエサル暗殺日の同年3月15日以前で、カエサルの終身独裁官就任時期(同年2月頃)と重なる。

老年を迎え(この年キケロー62歳)、自らが理念とした共和政ローマが永遠に失われてしまった今、キケローがそのような状況下での向後の己の生、自らの近未来と重ね合わせて本篇を執筆したということは大いに考えられる。

書中、老年になっても可能な哲学や文学を営みとする所謂「観想的な生」が称揚され、老人にふさわしい営みとしての若者の教育や「賢者の生にきわめて近似したもの」という農耕の喜びが強調されるのも、それとあながち無関係ではないであろう。

そうした営みは、或いは朧気に脳裏に浮かぶ自らの未来の姿ではなかったか。本篇を単なる哲学的老年論としてではなく、そのようなコンテキストで読んでみるのも面白い。

とまれ、プラトンの「魂とその不死性の思想」にストアの「自然あるいは自然の必然性(=摂理)の思想」を織り込みながら説かれるその老年論には、「心身の不断の鍛錬と節制」、「今あるものを用い、……自分のもてる力相応のことをするのが、ふさわしい行動」、「無謀は華やぐ青年の、智慮は春秋を重ねる老年の特性」など、今に生きる知恵が鏤められている。