「さらば、リア充!」“非リア”が王になる時代が来た

もうお前らのことは羨ましくない
カレー沢 薫 プロフィール

リア充はコスパが悪い

しかし本書で語る「非リア充」とは、現実から追いやられネットに逃避している人のことではない。

何故なら、「ネットは現実以下」という考え自体がもはや古いからだ。

年収一億のユーチューバーが「でも俺コンビニバイトは一週間も続かなかったし」と卑屈になる必要があるのかという話である。
ネットは現実以下ではない、もはやネットで得た地位は現実でも価値があるものになっているのである。

つまり非リア充を極めれば、そんじょそこらのリア充よりよほど充実できるということを示そうとして途中で終わったのが本書なのだ。

またリアルというのは何をするにもコスパが悪い。まず部屋から出なければいけない時点で合理的ではない。

そんな、非合理的な世界で充実してしまったら、無駄な金や時間がかかる一方である。

つまりコスパや軽量化重視の世の中において、リア充という生き方は非効率的かつ鈍重、もはや時代遅れの生き方と言ってもよい。

それに対し非リア充は部屋からすら出ずに、画面の中だけであらゆる欲求を満たす能力を得ているのだ。このコンパクトな生き方こそ、現代社会に即したニューモデルと言えるだろう。

非リア充は環境に適応し進化した生き物であり、リアルの世界でしか満足できないという人間は「旧型」なのである。

「非リア充」の高みから

従来は、非リア充はリア充を妬みながらも、できれば自分もリア充になりたいと思っているものだった。

「リア充爆発しろ」

完成された日本語である。しかし、この言葉も生まれてすでに10年経っているのだ。
10年経った今でも言葉の美しさは変わっていないが、この言葉に対する私の解釈は大きく変わった。

以前は「羨ましいからリア充爆発しろ」と思っていた。
しかし今では「特に理由はないけど爆発しろ」と思っているし、もちろん爆発したリア充の代わりにリア充におさまりたいとは思わない。

むしろ「非リア充という高みからリア充の爆発を見下ろしたい」という気分である。

非リア充が現実世界でのコミュニケーション能力、協調性、社交性に欠けるのは否めないところがあるし、この世に現実世界しかなかった時、そういうタイプは概ね詰んでいただろう。

しかし今はネットという、もう一つの世界がある。その点我々は恵まれているし、そこで成功をおさめたなら、もはや自分に向いていない現実、そしてそこで充実することなどに拘泥する必要はないのではないか。

もはや現実の時代は終わった。
今いる部屋、今見ている画面こそがリアルであり、価値のあるものなのだ。

『非リア王』はそういうことを、途中まで言いかけた本である。

ちなみに、あとの半分は唐突にIT用語解説と時事問題ネタが入る。もしかしたらこっちの方が有用かもしれないので、上記の非リア充論に賛同できないリア充も買うとよい。