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物理学にとってAIは新たな「神」になるか

新しい時代の「「物理学者」」の姿とは

AIは新しい時代の「神」になる得るか

このほど講談社学術文庫となった拙著『物理学と神』は、物理学の主要なテーマの変遷を、神を追放したがる物理学者と神との間の相克の変遷として捉えて、科学革命以来の物理学の歩みをわかりやすく提示しようという試みであった。

物理学者は、意外にも神のことを気にして、あるいは気を遣って、物理学の世界に神がおわす場所を用意してきた。

 

神が存在しなければ、自然の仕組みの素晴らしさを讃えるべき神も、自然はそんな仕組みではないとクレームをつけるべき神もいないのだから、これほど物理学者にとって詰まらないことはないという事情があって、神と手が切れなかったのだ。
 
しかし、いよいよ物理学者は神と縁を断つことを考えねばならないかもしれない。AI(人工知能)の能力がどんどん進歩し、2045年にはシンギュラリティを迎えると言われているからだ。

シンギュラリティとはコンピューターがもたらす「技術的特異点」のことで、人間の脳を模倣したニューロコンピューター内でのニューロンの数が人間の脳におけるニューロンの数を圧倒的に上まわってAIが意識をもつようになり、人間の能力を超えて自律的に判断する時代がやってくるというのである。

そのあかつきには、AIが自らを改良し、AIがAIを生み出すことが可能になって、やがて人間を超える知性と能力を備えた汎用人工知能(これを「強いAI」という)が出現して、人間は不要になると恐ろしい予言をするAI研究者もいる。
 
果たして、知能のみならず、意識や判断力や良心をもった「強いAI」が出現するかどうかは不明であり、SFに過ぎないのかもしれない。

私自身、「強いAI」であっても利他心のような倫理意識や無意識の世界の暗黙の規範などもちえないだろうから、「強いAI」の出現には否定的である。

しかし、もし「強いAI」が実現した場合を想定し、物理学と神との関係はどう変わるか、という問題を考えておくのも悪くないだろう。
 
そうするとこの問題は、「強いAI」はいかなる宗教心をもち、神の存在に対してどのようなご託宣を下すかという問題に帰着する。「強いAI」といっても人間と同様な意識や概念をもつのだから、宗教心をもつことはたしかであろう。

「強いAI」であろうと未来を完全に予測することはできないはずだから、どのような未来があるかに対する不安や恐れの心を抱き、すがるべき何らかの存在を仮想することになる。それをやはり「「神」」と呼ぶことにしよう。