# 医療

胆管がん「余命6ヵ月宣告」から生還した患者とその主治医の全告白

トップドクターはこうして命を救った
木野 活明 プロフィール

合併症の心配もなく術後1カ月で退院。翌日から庭の散歩に出られ、さらに5日後には光増寺の本堂に顔を出せるまでに体調は戻ってきた。現在半年に1度の定期検診を続け、手術から7年が経過しているがどこにも異常は見られない。

「術後半年で住職の仕事に復帰しています。お寺の住職は声が勝負です。小声でぼそぼそとはいきませんから復帰当時はきつかった。元に戻るまでは1年以上かかりました。いまは毎朝のお務めのお経を聞かれた方は『本当にがん?』というんですよ」(桑原さん)

 

トップドクター・齋浦医師の「素顔」

齋浦医師は四国・徳島市の出身。銀行員の家庭に生まれ、徳島大学付属中学から神戸の灘高校に進学した。

順天堂大学病院でインタビューに答えてくれた齋浦医師

同学年では50人が灘高に進み、そのうち5人が同級生だった。灘高では下宿生活をしながら東大を目指した。

「徳島からはるばる灘高へ行って下宿していたので、周りは当然東大に行くと思っていました。東大に行かなければ格好がつかなかったんですよ」(齋浦医師)

東大医学部を目指した理由についてはさらっとこういう。

「灘高校でトップクラスは大体、東大医学部に進学するようでした。自分もなんとか行けそうだなというので、ひとつ頑張ってみるかと、入ってよかったなといま思っています」

1993年に東大医学部を卒業、東大病院で研修後に社会保険中央病院で2年間初期研修。ここではヘルニアなどの手術を行っていた。

1996年に東大第二外科に入局、肝臓外科手術の分野で世界的に知られた幕内雅敏教授の元で2年間助手を務めた後、東大病院の関連病院の墨東病院に移る。大学院で博士号を取るため1999年から2002年まで東大の先端科学技術研究センターに入りマウスを相手に心臓移植の研究を続ける。博士号を取得し東大病院に戻り人工臓器移植外科に入局する。

「ここでいい基礎研究をしていたんですが、外科医としては使えなかった。外科医として実力がないので幕内先生もわたしの使い方に困っていたようでした。仕事がなく自分でもこのままではまずいと思って、この先、基礎研究で行くか臨床で行くかその後の人生の分岐点に立っていました」(齋浦医師)

東大医学部を卒業して10年が経った34歳の頃だった。

「当時の肝臓外科は発展途上で、第二外科の先生が色々な機械を駆使して手術する姿をそばで見ていて非常に印象に残っていました。自分もあまり他の先生がやらない難しい手術をやってみたいと思い、臨床医に進むことを決断しました」(齋浦医師)

2003年1月に墨東病院に復職していたが、半年後の7月、がん専門の研究所と病院を持つ癌研究会附属病院(現 がん研有明病院)に移った。

2005年に癌研は大塚からがん研有明病院として有明に移り、日本で初めてがんのチーム医療を確立させた中心的存在として活躍した。

現在、日本の消化器外科を代表するトップドクターとしてメスを握り続けている。