脳にとって「真実」はなかった? 「心」をめぐる常識が崩れるとき

脳科学者が高校生に真摯に語ったこと

そのひとつの例として、第1章の序盤で登場する「ピンク色の斑点実験」という映像を紹介しましょう。

「ピンク色の斑点実験」は「ライラックチェイサー」とも呼ばれ、円状に並んだピンク色の斑点があり、それが一か所ずつ瞬間的に消えていく映像を使った実験のこと。ネット上でも有名なので、試したことがある人もいるかもしれません。

動画を再生し、円の中心にある黒い点を見つめていると、次第に緑色の斑点がまわっているように見えてきます。そして、じっと見つめ続けていると、なんとピンク色の斑点が消滅し、緑色の斑点しか見えなくなります。

まばたきをしたり、視点をずらしたりすると元の通り円状に並んだピンク色の斑点が見えるので、動画自体が変質したわけではありません。

これは私たちの目が錯覚を起こした「錯視」です。しかし重要なのは錯視そのものではなく、それが起きている時の脳の働きです。

私たちがピンク色の斑点を見ているとき、脳内ではピンク色に反応するニューロン(神経細胞)が活動していますが、錯視を起こした状態だと、存在しないはずの緑に反応するニューロンが動き出し、逆に存在しているピンク色に反応するニューロンは活動を停止します。

つまり、脳にとってはニューロンが活動するかどうかが認識を左右するのであって、見ているものがそこに存在しているかどうかは重要ではないのです。このことを、池谷氏は次のような言葉でまとめています。

哲学では「存在とは何ぞや」と、大まじめに考えていますが、大脳生理学的に答えるのであれば、存在とは「存在を感知する脳回路が相応の活動をすること」と、手短に落とし込んでしまってよいと思います。つまり私は「事実(fact)」と「真実(truth)」は違うんだということが言いたいのです。

脳の活動こそが事実、つまり、感覚世界のすべてであって、実際の世界である「真実」については、脳は知りえない、いや、脳にとっては知る必要さえなくて、「真実なんてどうでもいい」となるわけです。

心のコペルニクス的転回を起こす読書体験

本書ではこの他にも、無数の脳科学による研究結果を通じて心の構造を明らかにしていきます。

一つ一つのデータは「『心』とは何か?」という大きな問いのための細部なので、深掘りはされませんが、どれも驚きに満ちた研究結果ばかりです。この細部の面白さに夢中になっているうちに、あっという間に読み進めてしまいます。

正しさとは何か、私たちに自由意志はあるのか、無意識は行動にどんな影響を与えているのか……そんなテーマへの脳科学からのアプローチは、それまで常識だと思い込んでいた「心」のあり方を疑うには十分すぎるほど。それはまさに、心のコペルニクス的転回ともいうべき体験です。

ただし、ではこの本に書かれた内容を理解すれば心のすべてを知ることができるかというと、そういうことでもありません。