講談社が昭和に向かって「異常な発展」を遂げた「ある理由」

大衆は神である(38)
魚住 昭 プロフィール

以下は秘蔵資料の大野証言。

〈島田君が私と激論した結果、どうしても承知しないから、しまいには私と島田君ととっくみ合いの喧嘩をしちゃった。(笑)その時分は私も元気がいいからね、三十六、七の時だからね……。

そういうことをやってみんなも困っちゃって、じゃ結局野間さんはどういう考えを持っているか、講談社に行って談判してみようということで島田君は俥(人力車)で行ったんです。だから私は島田君が講談社に着くまでに野間さんに電話をかけたんです。「島田君がこういうわけでそちらに行くからじきに着くでしょう。だからあなたは十七銭のほうに賛成してほしい」と言ったんです。野間さんは「承知した」というわけです。そこに島田君が行って、野間さんに十七銭にすると言われたので、帰ってきてとうとう十七銭にすることになったんです。

それで婦人もの(の雑誌)も十五銭のものが十七銭になり、他のものも上げることになったんです。この機会を捉えて掛のほうも直そう――それと同時に小売店にも利益があるようにしよう――そのとき二銭のあれですが、大した値上げにならないんだけれども、そういうことを一つの機会にして(略)取次のほうにもよく、小売店にも儲かるように上げてだしたら、小売店は何とも言わないんです。それが逐次上がっていって、何でも定価を上げなくちゃならないようになったんです。それから何の苦情もなく、取次も目的を達して雑誌は五分の口銭のところまでもってゆくことができたんです。(略)それで取次のほうも、重湯どころではない、ご飯も食べられるようになったんです。お酒も飲めるということになったんです。そのときがきっかけなんです〉

"宣伝狂"

この年9月、清治は『面白倶楽部』を創刊した。宣伝を主にした定価10銭の格安雑誌で、今のフリーペーパーに近い。『講談倶楽部』より多種多様で娯楽中心の短い読み物を満載し、その合間に講談社や他社の雑誌出版物の広告を多量に入れた。

広告の扱い方も、雑誌の連載小説の一部を2ページの記事として入れるなど、読める広告になるよう工夫した。『面白倶楽部』の「売れるまにまに、他のすべてのものが従って売れるように、広まるようにしたらどういうものであろうか」(『私の半生』)というねらいだった。

清治は"宣伝狂"である。彼は「金さえできたら宣伝しようぞ。宣伝して損はない。宣伝に貯金したほうが得である。銀行に金として貯金するよりは、宣伝の方面に貯金した方が事業の肥料になる。事業の根幹を太らせる途で、永遠に繁栄する途」(口述録)だと考えていた。

仮に原稿料が3万円かかった雑誌を10万部発行すると、原稿料は1冊あたり30銭になるから50銭の雑誌では負担しきれない。しかし100万部刷ると、一部あたり3銭にしかつかない。買うほうの側からいえば、原稿料だけで3万円もかかったものを50銭で買って読める。

これを実現するには、宣伝の力によらねばならない。宣伝に使う費用の分だけ安くしたらいいというのは大きな誤解である。逆に、大宣伝をするからこそ、安いものが作れ、安く販売ができる。宣伝費は物の原価を引き下げるのだ、というのが清治の論理だった。

だから、宣伝となるとなりふり構わなかった。チンドン屋を広告に使い、知識人が「品が悪い」と眉をひそめても気にしなかった。割箸袋に雑誌の広告を入れたのも彼である。新聞記事の間の小さいスペースに広告を入れる三行広告を創案したのも彼だった。これより少し後には、清治は全1ページ、あるいは見開き2ページの新聞広告を連発して世間を驚かせた。