講談社が昭和に向かって「異常な発展」を遂げた「ある理由」

大衆は神である(38)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

大正の初め、「定価販売制」と「返品自由制」により到来した「雑誌の時代」。借金まみれだった講談社を救ったのは、野間の雑誌への想いに賛同する取次界のリーダー的存在、東京堂の大野孫平だった。

第四章 団子坂の奇跡──人材雲のごとし(1)

いろいろ裏がある

明治から昭和にかけての出版人として知られる小川菊松(おがわ・きくまつ)は、自著『出版興亡五十年』(誠文堂新光社、1953年刊)に以下のように記している。

〈講談社が異常の発展を遂げたについては二つの理由がある。一つは資材の大量需要者の偉力を以て、用紙、印刷、製本料から、広告料に至るまで、他と比較にならぬ安価を以て仕入れたことである。そしても一つはその卸値を他店以上に高率にして売捌いたことにある。

(略)取次店への卸値にしても、当時一般は定価の七掛半以下であつたが、講談社は七掛八歩という高率であつた。それにはいろいろ裏があつて、講談社は大取次のリーダー格である東京堂の大野孫平氏と特別な関係があり、そこにある条件がつき纏うているのだとの噂さ専らで、北隆館の石塚老はよくこれを口にして憤激していられた〉

小川の指摘は的を射ている。「七掛八歩」という高率の掛は、清治と大野の「特別な関係」から生じたものだ。そして、「ある条件」とは、2点あって、一つは東京堂への卸値を特別に割り引くことだった。これまで再三引用している『日本出版販売史』の座談会では次のようなやりとりが行われている。

国領茂蔵(元東海堂取締役) 大野さんの方は、いつも講談社にちゃんと払っておいででしたけど、いくらか正味(=掛)が安かったのではないですか。

大野 東京堂は「雄弁」と「講談倶楽部」は普通の取引値段より特に一分引いてもらっていた。あとの雑誌はそうもいかなかったが……。それで「雄弁」と「講談倶楽部」は一分安くしてもらったかわりに、月末になると金は根こそぎ持っていかれた。返品があろうとなかろうと。そんなことはおかまいなしなんだから、どっちが得であったかわからない。

堀江 それは大野さんのことだから、ちゃんとソロバンはじいてあったんですよ。わがままをしていたようだが、やっぱり損をしていたのはこっちかも知れない。(笑)

もう一点は、卸値割引の見返りとしての融資である。最初5000円だった講談社への融資額は「数年後には一万円になり、二万円になり、その後は三万円、五万円、こちらの要求に応じて大概やってくださるということになった」(清治の口述録)。つまり、東京堂は、講談社の事業拡大期に不可欠な運転資金の供給源になったのである。