そして驚くべきことに、かつてフランスで避妊は「違法」だった。避妊が合法化されたのは、1967年。先進諸国でウーマンリブ運動が加速化し、フランスでもそれが盛り上がっていた時分だ。が、当時の議会は男性の圧倒的多数で、女性の声はなかなか届かない。そこで避妊合法化が実現したのは、ある男性議員の尽力があった。

その男性議員の名前は、リュシアン・ヌヴィルス。市議として離婚政策に携わり、離婚紛争の大半が「望まない子の出産」から始まることを目の当たりにしてきた。そしてそれをきっかけに、多くの女性と子どもが貧困に陥ることも。

避妊は1920年成立法で禁止され、中絶も違法だった。合法な手段がない中でヤミ中絶が後を絶たず、劣悪な環境で手術を受けた女性の健康問題も深刻だった。自身も娘がいたヌヴィルスは、女性運動団体や科学者、医師の後押しを受け、1966年、法案提出を決意する。

避妊合法化法案はそれ以前にも11回国会提議され、全てが棄却されていた。しかも当時の大統領シャルル・ド=ゴールは保守派で、自身も熱心なカトリック教徒。「ピル? フランスではありえない!」と公に宣言するほど不利な情勢で、ヌヴィルスは戦略的なカードを切る。避妊を倫理や文化面ではなく、「人権」「社会」から語ったのだ。

社会のより良いバランスのために

第二次大戦でフランスを解放したシャルル・ド=ゴールは、女性参政権を実現した大統領でもある。「自由フランス」の象徴を自負する権力者に、ヌヴィルスはこう言った。

「大統領。あなたは女性に選挙権を与えた。今度は彼女たちに、生殖機能を自分で管理する権利を与えてください」

避妊とは女性が、自分の体を自分で管理する権利であるーーそう説かれた大統領は黙り込み、その後、告げた。

「君の言う通り、命を受け継ぐことは重大事だ。熟考の末での行動であるべきだろう。続けたまえ」

大統領のお墨付きをもらったヌヴィルスは、国会で避妊合法化の必要性を「女性の解放・子どもたちの教育環境の改善・社会のより良いバランス」から主張。法案は1967年に可決され、「ヌヴィルス法」と名付けられた。

「妊娠・出産を選ぶ権利」はその後、1975年の中絶合法化で一つのパッケージとなる。しかし中絶の合法化には、避妊よりさらに激しい反発があった。そしてそれを上回る、女性たちの悲痛な声も。

粘り強く合法化を推し進めたのは、当時保健相を務めた女性政治家シモーヌ・ヴェイユ。「昔も今もこの先も、喜んで中絶をする女性は存在しません。中絶は悲劇であり続けるのです」と訴える演説は語り草となっているが、ここにもまた、彼女と共闘する男性政治家がいた。

無法化したヤミ中絶の惨状を看過せず、その原因が半世紀以上前に成立した法にあると明示し、「法を現実に合わせる必要がある」と断言。そうしてヴェイユに中絶法の国会審議を命じたのは、時の大統領ヴァレリー・ジルカール=デスタンだった。

避妊・中絶の両方が合法化されてから、約40年。フランスではこの間に、3人以上の子を持つ家族数が1/3に減った。そして社会全体の相対的貧困率も12%(1970年)から8%(2015年)まで下がっている。両方のデータとも、単純に「避妊・中絶合法化のおかげ」と言うことはできない。だが、その背景に「女性が妊娠しない権利」の確立があったことも、確かな事実だ。

ではこうしたフランスの視点から日本の現状はどのように見えるのか。次回は、フランスと日本の違いについて考える。