大相撲界を揺るがした力士のストライキ「春秋園事件」をご存じか

分裂騒動にまで発展
田中 圭太郎 プロフィール

相撲協会が3分裂、存続の危機に

翌日、相撲協会は春秋園にいる力士たちに「回答書」を送ったが、力士側は「具体性がない」と一蹴。協会に絶縁状を送りつけた。

そのまま事態は動かず、ついに1月10日、32人の力士たちは「大日本新興力士団」を立ち上げて独立してしまった。

すると、出羽海部屋系の力士と対立関係にあった東方の力士からも、鏡岩、朝潮(のちの男女ノ川)ら13人が脱退。こちらは1月28日に「革新力士団」を結成してしまった。大相撲会の3派分裂である。

 

62人いた関取のうち、相撲協会に残留したのは幕内14人、十両3人だけだった。脱退した力士で戻ってきたのは大関武蔵山1人。

2月の春場所が迫る中、相撲協会は苦肉の策として十両から幕内、幕下から十両へと番付を次々と繰り上げて、2月22日から8日間の2月春場所を強行開催した。

しかし、当然のことながら館内はガラガラ。空前の不入りの場所になり、8日間の興行による収入は、従来の1日分の収入にしかならなかった。相撲協会は存続の危機に陥ってしまったのだ。

ちなみに事件直前に発表された番付では、十両にのちの大横綱・双葉山がいた。脱退しなかった双葉山は、この2月春場所で一気に前頭4枚目まで特進している。

興行としては最悪の結果だったが、協会に残った力士たちは「国技館の土俵に殉じようという真剣な真剣な勝負で好角家の評判をよんだ」と伝えられている(『相撲百年の歴史』講談社 1970年11月発行)。

人気は出たが長続きしなかった新団体の興行

一方の新興力士団は、何とマゲを切って、2月4日から東京・根岸坂本の尾高邸跡で6日間の興行を行った。A、B、Cの3クラスに分けて、総当たりのリーグ戦で対戦するという新しい競技方法を採用。入場料は90銭均一にした。

この興行は、時勢に迎合する新聞によって支持され、旗揚げ興行は1万円近い黒字になった。すると2月13日には革新力士団と合併し、大日本相撲連盟を結成。3月に大阪市、4月に名古屋市で7日間の興行をして、5月3日には東京・靖国神社で10日間の興行を実現した。

靖国神社で興行する大日本新興力士団と革新力士団

一方の相撲協会は、5月に本場所を開催したが、11日間不入りに終わった。分裂した勢力に完全に押された形で、まさしく存亡の危機に立たされたのだ。

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