大相撲界を揺るがした力士のストライキ「春秋園事件」をご存じか

分裂騒動にまで発展

毎場所の展望や結果を、辛口な指摘も交えながら伝えている大相撲専門誌「大相撲ジャーナル」が、現在発売中の2月号から意欲的な取り組みをスタートした。大相撲の歴史を多角的に掘り起こす「大相撲全記録」の隔月連載だ。2月号では相撲界を揺るがした「3大紛争事件」を特集している。同誌記者の田中圭太郎氏が、そのなかから最も大きな紛争に発展した「春秋園事件」を解説する。

32人の力士が料亭にたてこもり

日本相撲協会は、今年1月から十両以上の関取の給料を月額で6〜7%増額した。給料の増額は2001年以来18年ぶり。新しい給与の月額は横綱300万円、大関250万円、三役(関脇・小結)180万円、幕内140万円、十両110万円。関取になれば、基本給だけでこれだけの金額がもらえるのだ。

しかし、大相撲の長い歴史を振り返ってみると、力士の生活が安定したのは、年6場所制になった1958年以降ではないかと思う。それまでは、力士の生活はどちらかといえば厳しく、明治から昭和初期にかけては、「力士のストライキ」とも言える紛争事件がたびたび起きていた。

このうち、大相撲の歴史上、最後に起きたストライキである「春秋園事件」を振り返ってみたい。いまから90年も前のことだ。

 

1932年1月6日。1月場所の番付が発表された翌日に、西方の幕内力士全員を含む、出羽海部屋系の関取と幕下の力士あわせて32人が、大井町駅前の料亭「春秋園」に集合した。力士の人権と生活の擁護を旗印に、相撲道の改革を訴えたもので、当時、世間を大いに騒がせた。

春秋園に立てこもった力士たち

中心となったのは出羽海部屋の関脇・天竜。天竜らは10ヶ条の要求書を書き上げて、相撲協会に突きつけた。その内容は、次のようなものだった。

一、協会の会計制度の確立
二、競技時間の改正
三、観覧料の低下
四、相撲茶屋の撤廃
五、年寄制度の漸次廃止
六、養老金制度の確立
七、地方巡業制度の改革
八、力士の生活安定
九、冗員の整理
十、力士協会の設立と力士共済制度の確立

自分たちの待遇改善が根底にあるものの、要求書の前半には協会に対して改革を求める建設的な内容が盛り込まれている。協会の会計制度の確立、相撲茶屋の撤廃、年寄制度の漸次廃止は、興行による収入がどのように分配されているのかが不透明だと、力士たちが思っていたのだろう(ちなみに、相撲茶屋や年寄制度は現在も存続している)。

この力士32人の驚きの行動に対し、相撲協会は緊急会議を開いて、その日のうちに「要求書は師匠を経由すべき」と使者を送った。しかし、力士たちはこれを拒否。さらに出羽海部屋の春日野親方と藤島親方が説得に当たったが、力士たちは納得しなかった。力士たちはそのまま春秋園にたてこもったのである。