K-POP市場は本当に巨大か? ファクトで分析するその「実力」

彼らが「海外進出」にこだわる理由
飯田 一史 プロフィール

JYPにとってUSとは何か?

SMにとっての中国のように、畏敬と攻略願望がない交ぜになっているのがJYPにとってのUSだ。

韓国で「アメリカの歌手にアジアの作曲家が曲を提供するのは不可能」と言われていたことがコンプレックスだったJYP代表のパク・ジニョンはLAに渡ってデモテープを売り込み、04年にウィル・スミスのアルバムに、その後もCassie、Maceに曲を提供し、3年連続でビルボードのトップ10に入るアルバムに楽曲を提供した(「日経エンタテイメント!」日経BP、2011年10月号)。

ここで重要なのは、パク・ジニョンは自身が“韓国のマイケル・ジャクソン”と言われるヒット歌手/作曲家であり、韓国国内ではすでに成功を収めていた、ということだ。

 

十分な地位を得ていたのに、手痛い失敗をして失笑されるかもしれないリスクを負い、(少なくとも短期的には)国内でパフォーマーやプロデューサーとして活動するより圧倒的にコスパが悪いことが目に見えているにもかかわらず、米国進出を試みたのである。

パク・ジニョンは、愛弟子的存在のピ(Rain)を中国でアルバム50万枚、日本や台湾でも10万枚売れる歌手に育ててもいる。その時点で、東アジア各国をぐるぐる回っていれば十二分なほどに稼げただろう。

ピ(Rain)(Photo by gettyimages)

しかし、JYPはピ(Rain)でも北米進出を狙い、2006年、NYのマジソンスクエアガーデンで公演を行っている。だがピ(Rain)は渡米当初あまり英語ができず、テレビ局から出演依頼が殺到したのに「通訳が必要なのか」と撤回され、(その後は英語を覚えてハリウッド映画に出演を果たすまでになったが)滑り出しの苦戦もあって「成功」とまではいかなかった(朝鮮日報2007年7月3日、「Rainの生みの親、パク・ジニョン」)。

この反省を活かし、Wonder Girlsで北米進出に再挑戦した際にはメンバーに英語を仕込み、ヒット曲『Nobody』を英語詞にして2009年にリリース。バスツアーで米国・カナダをドサ回りさせ、米国の大型スーパーでアルバムを99セントで売りまくった結果、『Nobody』は韓国人歌手初のビルボード「ホット100」入り(76位)を果たした――が、それが限界だった。

ただこれがきっかけで、ビルボードはK-POPに注目するようになる。12年のPSY「江南スタイル」ヒット後の14年には韓国系米国人ジャニス・ミンをCEOに任命し、K-POPに強い関心を示すようになった(同紙2018年5月29日、「BoAがこじ開けた扉から頂点に駆け上ったBTS」)。

繰り返すが、ピ(Rain)はK-POP歌手として初の東京ドーム公演を行うほど人気があった。カネを稼ぎたいだけなら、苦労してUS進出を目指す必要はなかっただろう。

Wonder Girlsだって北米ではなく本気で日本デビューさせていれば、KARAや少女時代、あるいは今のTWICEくらいの人気を得ていたかもしれない(パク・ジニョンがUS進出に熱をあげていたころのJYP所属歌手の日本進出は、東方神起の成功を受けて男性アイドルの2PMを送り込んだ以外は比較的手薄だった。

たとえばワンガの初来日は2011年夏開催のJYP nationを待たなければならなかった――周知のようにKARAや少女時代が日本進出してブームを巻き起こしたのは2010年であり、2011年夏にはフジテレビ前で嫌韓デモが起こり、K-POP歌手のマスメディアへの露出は激減する)。

しかもパク・ジニョンらがこれだけ苦労してUS市場を開拓したにもかかわらず、2016年実績では、韓国ポピュラー音楽産業の全輸出額のうち、北米市場が占める割合は0.3%にすぎないという(朝鮮日報2018年1月1日、「Wonder Girls・少女時代…K-POPの米市場進出史」)。

韓国の文化体育観光部の発表では、2017年の韓国の「音楽」輸出額は4億4257万ドルだという(聯合ニュース2018年6月1日、「韓国コンテンツ産業の成長続く 輸出額が初の60億ドル突破」http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2018/06/01/0200000000AJP20180601004100882.HTML)。17年も同じ0.3%しかないとすれば、つまり1.2億円程度しかない。

JYPは米国進出に130万ドルかけたとも2億円以上かけたとも言われているから、ライブ関連収益が中心だとしても、普通に考えれば赤字だろう。K-POP歌手のUS進出は本場のR&Bやヒップホップ、ショービジネスへの憧れが生んだ「挑戦」であって、短期~中期的な投資としてはワリに合っていない(2012年のPSY『江南スタイル』の世界的な流行は偶発的な出来事であって「戦略」や「挑戦」の産物ではない)。

もっとも、パク・ジニョンはじめJYPのアーティストに楽曲を多数提供し、JYPでプロデューサー修業を積んだBig Hitエンターテインメントのパン・シヒョク代表がBTSをUSでも人気の存在にしたから、K-POP全体で見れば「元は取れた」と言えるかもしれない(酒井美絵子『K-POPバックステージ・エピソード』河出書房新社、2012年によれば、ピ(Rain)やワンガのUS進出に直接的に尽力したのは、PENTAGONや(G)I-DLEを擁するCUBEエンターテインメントの創業者ホン・スンソンだそうだけれど)。