まんが『異邦人』で「実存」を〝知る〟のではなく〝体感〟する

こんな漫画、見たことない…
石井 徹 プロフィール

絵コンテが送られてきました。絵コンテというのは基本鉛筆で描いた漫画です。漫画の設計図のようなものです。

ビックリしました。文字どおり「主人公の眼」から見えた世界しか描いていないのです。だから主人公の姿がほとんど出てこないのです。こんな漫画見たことがない。

通常、漫画は俯瞰で描いていくものです。つまりカメラを登場人物の外側においた状態でドラマを進行させていく。アップにしたりロングにしたりの連続で構成します。フランス版の漫画「異邦人」もうそのように極めてオーソドックスな形で構成されていました。ところが須賀原さんの今回の「異邦人」はそれが全くないのです。

イラスト:須賀原 洋行

読んでいくと不思議な気分になります。「見ている」自分は実感があるのです。しかし「見えている」ものが段々外側の世界に感じ、フワフワした実感がないものになってきます。自分と、自分以外の存在が隔絶した感覚に陥ります。

皆さんもデカルトの「我思う、故に我在り」という言葉はご存知でしょう。

高校生の時は何言ってんだ、俺が何も考えなくても俺も周囲のモノも実際に存在してるじゃねえかと思っていました。殴り合いのケンカをすれば殴った自分の拳が痛い。相手のボディの感覚も当然ある。だからそんなのは言葉遊びだろうと思っていました。

試験の時は一応デカルトに合わせて答えを書きましたが、何でこんなことを文部省は教えようとするのか理解できなかったのです。

しかし今回の「異邦人」を読んだ方はデカルトの言ったことを頭でなく「体感」できると思います。

読み終えた時、「俺は確かにいる」と思って周りを見ると、俺以外は本当に存在するのかしらとチラッと思ってしまうのです。そこまでいかなくとも自分以外の景色と自分との間に距離感をもってしまうのです。

「実存」を"体感"できる

たまたまこの須賀原版「異邦人」を家のソファで読んでしました。隣で末っ子の娘がテレビを見ておりました。末っ子ですから可愛くて仕方がありません。

でも、漫画を読み終えた後奇妙な感覚に陥りました。隣に座って無邪気にテレビを観ていた娘が違って見えたのです。

自分の子供が横にいてそれまでは一体感があったのですが、それがプツンと切れたような感覚に襲われるのです。妙な「孤独感」を味わいます。

高校生のときに初めて「異邦人」を読んだ時もこんな感覚になったのを思い出します。これが「実存」ということなのかなと感じてしまう。哲学に詳しい友人によりますと、こういう感覚を持つのは正しいそうです。

「じゃあ、人間が孤独だとわかった時、指針とか道徳律とかはどうなるのさ? オレは日本人だから‟神“なんて実感はないよ」と訊きました。

「それを自分で決めるのが実存主義だよ」と言われました。

「実存」を情報としてではなく、体感したい方はぜひ御一読ください。不思議な感覚が味わえるのであります。