イラスト:須賀原 洋行

まんが『異邦人』で「実存」を〝知る〟のではなく〝体感〟する

こんな漫画、見たことない…

結局、何が言いたい小説なの?

ドストエフスキーの小説は途中で挫折する人が多い。みんな格好悪いから黙っております。

なぜ途中で挫折するかというと、ストーリーが途中で脱線して「神はいるのか」などと神学論を始めてしまう。一生懸命読んでも意味がよくわからない。そうしているうちに「ストーリーはどうだったっけ?」なんてなっちゃうわけです。だいたいドストエフスキーは小説家なのか哲学者なのかよくわからない。

ある意味で、このドストエフスキーとは対極にある(と私が思っている)のがカミュの「異邦人」です。編集部の人間はみんな読んでいる。ストーリーも覚えている。しかし意味がわからないのです。

カミュという人は文章がうまいのか、サッサとページがめくれてしまう。舞台のアルジェリアの乾燥した暑そうな情景まで目に浮かぶのです。有名な「太陽が眩しかったから」という最後のほうのセリフまで一気に読めちゃう。しかし著者は何が言いたいのか理解できない。

私は小学生の時に「異邦人」の映画をテレビで観たことがあります。ルキノ・ヴィスコンティ監督、主演マルチェロ・マストロヤンニです。小学生ですからタイトルも監督の名前も覚えておりませんでした。話も何だかよくわかりません。ただ女優さんの胸が大きかったことしか覚えていない。

これが中学生になってまたテレビで観ることになります。やはり女優さんの胸しか印象にない。

ところが高校になって現代国語の教科書に出てきました。授業で読み始めた瞬間「あっ、あれか」とあらすじがわかっちゃうのです。

東京帝国大学国文科卒だけが自慢の先生が講義を始めます。不条理がどうしたこうしたとか実存が何だかんだと喋り始めるわけです。そのうち生徒を指でさして、
「ここはどういう意味だ?」などと質問します。さされた同級生は頭をかきながら黙っているしかないのです。

「何だ。おまえらこんなものもわかんねえのか」とやり始めます。解説を始めますがサッパリわからない。当時は真面目な高校生ですから自分を責めます。

「ああ、俺はなんて頭が悪いんだ」などと思ってしまう。日本人は真面目ですから何だかわからないものが出てくると高尚なものと思ってしまう。そして書いた人間を責めずに、自分を責めてしまうのです。

ちなみに、今ふりかえってみると、この先生は説明が超下手でした。副業禁止規定があったはずですが、何故か参考書を書いています。買った高校生は不幸だったと思います。迷惑ですねえ。