弟子たちが明かす「二人の天才芸人」の素顔

横山やすしと藤山寛美
週刊現代 プロフィール

俺を一人にするな

そんなやすしだが、決して弟子をネチネチといじめ続けたわけではなかった。ひろしは「南海電車事件」の3日後、やすしと会ったが、「おう、元気か」と陽気に声をかけられただけだった。怒りは引きずらない。あの日は弟子ともっとお酒を飲みたかっただけなのだ。

「師匠は寂しがり屋ですね。飲みに行っても店内に弟子だけだと大人しいんです。ところが、一人でもお客が来ると、『横山やすし』になる。店員に絡み始める(笑)。

普段もタクシーでは横山やすしですが、自宅に一歩入ると木村雄二(やすしの本名)。奥さんが『あんた、師匠として何もしてないやない』と言うと、あの師匠が何も反論しない。普通のお父さんになるんですよ」(ひろし)

カラオケに行けば、自分が歌っている間に誰か会話を始めると、「ちゃんと聞いとけ!」と怒り出した。他の人が歌うと、「うるさい、しゃべれんやろが」と不機嫌になった。ひろしはこう続ける。

「有名な『時計鍋』は何度も目撃しています。師匠がお客を自宅に招いて、鍋を振る舞うのですが、たいてい夜中2~3時まで続く。で、お客が腕時計を見ると惨事になる。

師匠が『客が主人に対して失礼やろが。時計を持ってるから時間を気にするんや。出せ、こらぁ』って。時計は鍋の中へ(笑)。

師匠はとにかく周りをよく見ている。これは自分を放っておかないでほしいという寂しさが理由だと思います」

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酒浸りの日々を送り続けたやすしは、'89年4月、飲酒運転で人身事故を起こし、所属していた吉本興業から契約解除を言い渡される。以降、かつての輝きを取り戻すことは二度となかった。

やすしの中学時代の同級生で親友だった元競艇選手の野中和夫氏が言う。

「アイツは根っからの負けず嫌い。いつも相手に勝つか負けるかを考えていた。本当は仲間が欲しいんです。でも、常に勝ちたいから本当の仲間はできん。だから、自分が困ったとき、相談できる相手がおらんかった。

実母と離れて、幼いときのアイツは父親と住んでいた。ずっと父親を尊敬していた。何かあると墓がある実家に戻ってきたな」

 

父の墓前に参る際、いつも一升瓶を抱えていたという。そして一人で酒をあおるのだ。心を開いて、語り合える相手は他にいなかったのだろう。

「やっぱり孤独やねん。『人生は一発勝負で勝ったらええ』と話していた。先のことは考えていない。

でも、本当は漫才で最後の勝負したかったんやろな。まぁ、できることなら助けたかったけど、晩年はいつも吐く寸前まで飲んで、常に酔った状態やったから」(野中氏)

天才芸人は、アルコール依存症に勝つことができなかった。やすしは'96年にアルコール性肝硬変で亡くなる――。