未来学者は間違っている 私たちの知能の座は「ゲノム」だった

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
佐倉 統 プロフィール

機械にも、ゲノムにも知能がある理由

知能を脳ではなくゲノムが司っているというところに違和感をおもちになるだろうか?

しかしAIだシンギュラリティだというときには、機械の知能を話題にしているのであり、脳と機械の隔たりは、脳とゲノムの隔たりの比ではない。

機械に知能があると認めるならば(ぼくは認める)、ゲノムにも知能があるといってなんら問題はない。

いずれにせよ、こういった進化の過程や環境との相互作用を考慮せずに、カーツワイルやボストロムのように人間の脳の活動による知能だけを考察の対象にするのは、大きな間違いだ。

人間の脳から、その働きだけを抽出するのは不可能だし、知能を脳の働きだけに還元することも不可能だ。

囲碁やチェスで人間に勝つのは、知能の一側面だ。それは画期的で素晴しい成果だけれども、人間の知能は囲碁やチェスだけに発揮されるものではない。

囲碁やチェスがAI関連で注目されるのは、これらのゲームに発揮される知能は、身体性から切り離しやすい側面を持っているからだ。それゆえ、AIで扱いやすく、先行して発展したととらえることができたからだ。

チェスPhoto by Getty Images

知能とは身体性のことだ

人間の知能は、人間のような身体をもった生き物が、この環境の中で動き、生きていくために進化してきたプログラムの総称である。

そのプログラムは大脳新皮質に書き込まれていると考えるのが普通だが、ここで述べてきたように、ゲノムのプログラムだって「知能」の一部を構成している。

生物の進化全体を見渡せば、環境への適応の仕方を担ってきたのはほとんどの生物においてゲノムであり、脳(中枢神経系)ではない。

「知能」といったときにゲノムのことではなく脳が真っ先に連想されるのは、おそらく、ヒトの大脳新皮質が生物の進化(ゲノムの環境への適応変化)に比べれば短時間での環境適応という特異な情報処理パターンを担当していて、言語や抽象的思考など人間のさまざまな特徴がそれに由来しているからだろう。

「美」とか「善」といった概念を抽象化したり一般化したりする知能は、人間に特有のものであり、ゲノムが担っているわけではない。人間の人間たる所以は脳(大脳新皮質)にあり。

そのことは間違いないけれども、しかしだからといって、人間においてもゲノム情報の重要性を無視してよいというものではない。

今や言語と身体性は不可分にして密接な関係にあり、身体の発達に応じて言語の様態も変わっていくという考えかたが研究者の間では一般的だ(安西祐一郎ほか編『言語と身体性』岩波書店)。人の知能を考えるときには、ゲノムと脳の両方を、身体を媒介にして一緒に、あるいは両方を含めて身体として一括して考察しないとだめなのだ。

今まで、「知能」という概念が対象とする範囲が、あまりにも脳偏重だったのだ。知能は身体と密接な関係にある。いや、むしろ、「知能とは身体性のことだ」と言ってしまってもいいのではないかとすら思う。

「はじめに言葉ありき」ではない。「はじめに身体ありき」なのだ。脳だって、身体なのだから。