「イスラム国」に拷問を受けて障害を負った男が「今、思うこと」

悪夢のような3日間だった
小松 由佳 プロフィール

若い男たちが消えていった

しかしジャーラッラーが最も恐怖を感じたのは、2015年1月に政府軍への再徴集を受けたときだ。この頃、相次ぐ脱走兵に対処するため、政府は2年間の兵役が終わった男性を再度徴兵していた。

政府軍に加われば、反体制派兵士となったいとこや親戚と戦うことになる。市民にも銃を向けるかもしれない。その思いから、ジャーラッラーは命令を拒んだ。逮捕される可能性もあったことから仕事も離れ、隠れるように家で毎日を過ごした。

(この取材を通訳したアブ・オマルも、同じ頃パルミラで再徴集を受けた。彼は英語教師として月に20000SP(内戦前の物価で約35000円ほど) を得ていたが、再徴集に応じるなら倍額の40000SPの給与を約束された。だがアブ・オマルは、ほかの多くの男性同様、リスクの高さから再徴集を拒んだ)

ジャーラッラーやアブ・オマルのように再徴集を拒む者には3つの選択肢しかなかった。シリアから逃れるか、反体制派兵士になるか。または家に隠れているか。そうした事情から、パルミラでは若い男たちの姿を見かけなくなっていった。

在りし日のパルミラ遺跡の凱旋門。2015年にISによって爆破された(2012年撮影)
パルミラ遺跡(2012年撮影)

その年の初夏、2015年5月。パルミラは過激派組織ISによって占領された。彼らはイスラム原理主義思想のもと、人々を恐怖で支配し、非道な行いを繰り返した。

だが一方で、パルミラの男性の多くは政府の取り締まりから解放され、ほかの土地へ逃れるチャンスを得た。

ジャーラッラーもまたラッカに避難した。ISの首都だったラッカでは、ISの偏ったイスラム思想に従う必要があったが、国内のどこよりもましだった。

 

逮捕への懸念から(再徴集を拒否したため)政府軍の占領下(西側のホムスなど)には行けなかったし、パルミラの南側、ヨルダンとの国境近くにできたロクバン難民キャンプは環境が劣悪だと聞いていた。

当初、ラッカでの暮らしは安定していた。しかしそれは束の間の、そしてジャーラッラーにとり最期の平和な日々だった。

ジャーラッラーの家族はラッカに建物を持っていた。1階部分は貸し出しており、政府が小学校として使っていた。

だがISがラッカを占領すると、彼らは政府が使用していたものとして建物を接収した。ジャーラッラーの家族が事情を説明したところ、ISは言った。

建物を返そう。しかし君たちの家族には反体制派兵士がいる(当時、ISと反体制派は敵対していた)。パルミラの全ての家、そして一族内の反体制派兵士全員を我々に引き渡すのだ。話はそれからだ。

編集部からのお知らせ!

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/