カーブまで伸びている我々の身
『〈身〉の構造』のなかの「身の拡がり」というエッセイの冒頭で、市川は次のように言う。
「車を運転する人は、カーブに入ると遠心力がはたらき、それに抵抗して逆の方向に身を傾けているのに気づきます。カーブに入ればそうなるのは当然ですが、カーブにさしかかると、すでにそういう態勢を取っている。つまりわれわれの生き身は、カーブに入る以前からカーブまで伸びているわけです」
これによれば、スキーヤーの生き身はターンに入る以前からターンまで伸びていて、連続するターンでゲレンデを滑り降りるとき、生き身を自在に伸縮させていることになる。
スキーは遊びであり、スポーツであり、ゲレンデにシュプール(滑った軌跡)を描くことが自己表現である──などといわれる根本には、きっとこの非日常的行為がある。
日ごろは肉体の内側に閉じ込められ、自己や他者、社会といった制度にがんじがらめのスキーヤーの我が身は、たとえ一時的にではあれゲレンデにおいて解放され、自分の滑りによって伸縮自在に操作可能となる。それは、我が身が我が身であるために必要不可欠な遊び、我が身のもみほぐしなのではないだろうか。
そのことに魅せられた人々は、たとえスキーのブームが去ろうと地球温暖化で雪がなくなろうと、スキーをやめないのである。

バイクはスキーと同じだった
1980年代初頭に筑波大学に入った私は、やたらと広いキャンパスを移動するため、2年生の秋に中古の原付バイクを手に入れた。YAMAHAのDT50というオフロードスタイルの50ccで、車体はフレンチブルーだった。
DT50に乗り始めてすぐに私は、「あ、これはスキーと同じだな」と感じた。
50ccには見えないほど大柄で、野山を走れるバッタのような形をしていたこともあるが、ターンをするときのDT50と身体の使い方はスキーのそれととてもよく似ていた。

もちろん車体にむき出しのエンジンを抱いたバイクは、スキー板とは比較にならないほど存在感が大きな機械である。それでもターンをするとき、スキー板と私、バイクと私が織りなす「系」は相似の関係にあった。
「高速移動機械」としてのバイク乗り
80年代半ば、私は初めてエッセイを活字にする機会を得た。それは「高速移動機械」というタイトルで、バイク乗りとしての経験を素材にしていた。大学院生になったばかりの私には、バイクのことくらいしか書けることがなかったのである。
私はそのエッセイで、バイクから降りたときの疲労感から論じはじめた。そしてバイク乗りの経験を、人間がバイクを操作するのでも、バイクが人間を乗せるのでもない、両者が組み合わさった一つのシステム(「系」)の駆動過程のようなものだ、ととらえた。
「高速移動機械」とはバイクのことではなく、一時的ではあれ人間とバイクが結びついてできた「系」を指していた。
その頃はやっていた映画『エイリアン』のデザイナー、H.R.ギーガーに『ネクロノミコン』という画集があり、システムに組み込まれた、生きているとも死んでいるとも知れない人間のようなものの無気味な姿に影響を受けていた気もする。

しかし毎日バイクで東京を駆けていた経験からしても、私は機械の一部だった。