「身体」と「機械」に境界はあるのだろうか? ひとつの思索と答え

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
水越 伸 プロフィール

身体は物質にすぎない

日本に身体論が定着する過程で、市川浩(1931-2002)という哲学者が果たした役割は大きい。身体論といえば、中村雄二郎や鷲田清一を思い起こす人が多いだろうが、市川は彼らよりも深く思考をめぐらせたといえるのではないだろうか。

市川浩市川浩
『人類の知的遺産 月報第61号』(講談社、1983年5月)p3「著者紹介」より

身体論の核心には、デカルトの「物心二元論」を克服しようとする企図がある。

身体は、西欧哲学においては長く(そしていまだに)、精神に従属し、より低い価値しか持たないものとみなされ、哲学の対象から外されてきていた。

そのはじまりは「我思う、ゆえに我あり」という認識にいたった17世紀のデカルトが、世界は精神と物質に分けてとらえられると主張したことにある。身体は、時空間によって制限された物質の一形態にすぎず、人間存在の本質をなすものではないとされたのである。

デカルト自身の考え方はその後、二元論ではなくなったものの、「物心二元論」自体は近代哲学とともに近代科学の基礎をなし、哲学は精神を、科学は物質を扱うことで発展していくようになる。文系・理系二元論もまた、ここにはじまっているといってよい。

「物心二元論」への本格的批判が起こったのは20世紀に入ってからのことである。フロイトの精神分析学が注目した無意識も、フッサールの現象学が自己と他者をつなぐものとして想定した間主観性も、身体の存在を重視した。

自己や他者、世界との関わりを身体に注目して論じたメルロ・ポンティもまた重要な存在だった。

「身」の思索家、市川浩

市川は、メルロ・ポンティをはじめとする西欧現代哲学を踏まえながらも、そもそも身体(body)ということばでは「物心二元論」を乗り超えられないと考え、1980年代に入って『〈身〉の構造 身体論を超えて』を出版した。

ここで市川は、身体ではなく、「身(み)」という大和言葉を用い、ごく日常的な経験を参照しながら、「物心二元論」の克服を試みた。

たとえば、「身もだえする」「身代金」「身内」「身をもって知る」「人の身になって考えてみなさい」といった際の「身」は、精神のことでもあり身体のことでもある。身代金の「身」は身体だけではなく、精神も含めたその人全体のことを指している。身内の「身」は個人の身体を超えた家族や親族のコミュニティにまで拡張されている。

このように日本の言語と文化のなかで培われた「身」という概念は、肉体という意味での身体だけではなく、身体を起点とした空間的、社会的な拡がりのなかで存在する主体のあり方をも包括しているのだ。

大和言葉を近代哲学と対峙させる手法は京都学派に伝統的で、市川自身が京都大学出身だが、しかし後述するように彼の「身」には日本らしさをジメジメと誇示する嫌らしさがない。

市川浩は「身」を概念装置として用い、身体と世界の力動的な様態を描き出すことを目指したのである。