トレンディドラマの「生みの親」が語る、平成文化誕生秘話

現代のカルチャーはここから始まった

平成文化の根っこにはトレンディドラマがある

「あの時代じゃなかったら僕は売れないままだったと思う」

俳優・石田純一さんに取材をした際、トレンディドラマについてお話を聞く機会があった。

そう話す石田さんは穏やかな笑顔だったが、声のトーンは真に迫るものがあった。

トレンディドラマは、『君の瞳をタイホする!』(1988年)に始まり、『東京ラブストーリー』の放送開始(1991年)までに作られた、主にフジテレビ制作のテレビドラマの総称だ。

バブル景気時代に前後して制作されたトレンディドラマは、今から振り返ると“ダサいドラマ”としてとらえられがちだ。バブルを象徴するような派手な言動や過剰な演出は、現代を生きるものからすれば現実的ではない。ついつい、「さぞかし良い時代だったんだろうね」と冷めた目で見てしまう――。

正直にそうしたイメージを伝えると、石田さんは、

「ダサいと思われがちだけど、トレンディドラマはむしろ『新しい』んですよ。制作陣もキャストも、既存の古臭いドラマを変えようと、新しい試みをどんどんしていた」

と答えてくれた。

〔PHOTO〕Gettyimages

スタイリストの導入、オシャレなBGM、ミュージシャンをはじめとしたジャンルを越えたキャスト起用……これらは、すべてトレンディドラマを機に定着したというのだ。

話を聞いていると、一つの疑問がわいてきた。

トレンディドラマは、“ダサい”“バブルっぽい”といった部分ばかりに焦点が当たりがちだが、石田さんが語るような「功」の部分については、あまりクローズアップされていないのではないか――。

 

当時、トレンディドラマはどんな意味で「新しい」ものだったのか、一体、なぜ新しい潮流のドラマがあの時期に誕生したのか。後述するように、実は、街中でのロケを重視する構成、F1層(20〜34歳の女性)を視聴者のメインターゲットとして設定したこと、都市に暮らす「等身大の人物」を主人公として描いたことなど、今では当然と思われている手法がトレンディドラマによって「発明」され、定着した。

その意味では、トレンディドラマは、平成の文化の「基礎」であるとも言えるかもしれない。

昭和末期から平成初期に作られたドラマであるにもかかわらず、その後のドラマに与えた影響から「平成」のイメージが色濃く残るトレンディドラマ。その背景、その後に与えたインパクトを、平成が終わる前に再考するため、我々は、『君の瞳をタイホする!』『抱きしめたい!』など、数々のトレンディドラマを演出したフジテレビの河毛俊作さん(現在、エグゼクティブディレクター)に取材を申し込むことにした。