経営危機に陥っていた講談社を救った「徹底した雑誌中心主義者」

大衆は神である(37)
魚住 昭 プロフィール

尋常ならざる入れ込みよう

しかし、それにしても、大野の清治に対する入れ込みようは尋常ではない。まるで清治のマジックの虜になってしまったかのようだ。秘蔵資料のインタビュー記録を読むと、そんな感じがしてくる。大野は清治との初会談後、自分がとった行動を次のように告白している。

 

〈過ぎ去ったことだから、私らも取次をやめたから問題ありませんからいいですが、こちらの社としては従来の関係ある問題なんです。というのは内輪の話ですが、掛を、こちらのを私のほうとの最初の約束をするまで、掛は安かったんです。『雄弁』が七六(七割六分)くらいだったでしょうね、卸値がね。それを私が七八(七割八分)にしたわけなんですよ。それはずいぶん苦労したんです。それは一種の芝居をやったわけですがね。なかなか骨の折れる仕事でしてね。他の者がやかましくて承知しないで、そこは話し合いをしておいて、それで結局理由を何とかつけて、宣伝を多くやるということで、宣伝に力を入れるんだから、余計売れるようになるし、取次はもちろん小売店にもよいということで、七八にしたんです。それから講談社の掛の高い根本ができたんです。それは大切なことなんですよ、社としてはね。

一年に大変なちがいですよ。それから(後に『少年倶楽部』などの)新しい雑誌もできていますからね。それが宣伝費をうんと使うことができるようになったんです。それは他の取次にあれするにはずいぶん骨を折ったんですよ。知らん顔をしておって、とぼけておいてやったんです。みんなを味方にひっぱってゆく苦心が容易じゃないですよ(略)宣伝をうんとすることは、売れ行きがいいことだからというので、それには何とか掛を上げればつづくということで理由も立つので、それでおっつけちゃったんです、他のあれを……〉

重要な証言なので、少し補足させていただく。当時、雑誌の掛(卸値の歩合)は七五(7割5分)以下が一般的だった。格式の高い出版社のものは、掛がもう少し高くなり、その分、取次や小売店が得るマージンが少なくなる。新興出版社・講談社の掛として七六はただでさえ高めなのに、それを取次主導でさらに七八に上げるなんてことは、普通だったらありえない。

それでも大野は、自分が清治に肩入れしていることを覚られないよう「知らん顔をしておって、とぼけておいて」『雄弁』の掛を上げるべく画策した。それが雑誌組合で問題になったが、大野の政治力で押し切った。彼はこうも語っている。

〈(『雄弁』の掛を)七八までもってゆくので、問題になったんですよ。間もなく東海堂から抗議が来ましたが、それでどういうふうに掛を上げたか忘れたが……(略)そのときの部数はわずかだから何でもなかったんですが、あと部数が余計になったから、えらいことになったんですね。(略)ずっと掛が高くなって影響してきましたからね。『キング』とか『幼年倶楽部』の大部数――『現代』とか『婦人倶楽部』とか、みんなそれに追随したんですから、たいへんなものですよ〉

たしかに『雄弁』の掛が上がったことの波及効果は絶大だったろう。財政面での講談社の土台は、大野の融資と”掛工作”によってつくられたと言ってもあながち過言ではない。