「登場人物の気持ちを答えよ」という国語の授業が大間違いなワケ

様々な教え方を実践して気づいたこと
須貝 誠 プロフィール

吹き出しに心情を書かせる授業

登場人物の心情を吹き出しの中に書かせ、子供が書いたことを発表させる。

最近の教科書には、定番の「くじらぐも」という物語がある。「くじらぐも」は、小学校を舞台にした物語だ。校庭で子供たちが体操をしていると、くじらのような形をした雲(くものくじら)が一緒に体操をしたり、子供たちと先生を乗せて空を飛んだりする話である。

雲から降りた子供たちと先生は、ジャングルジムの上から「くものくじら」に向かって、思い思いに「さようなら」と手をふる。子供たちが「さようなら」以外に何と言ったかを吹き出しに書かせる授業がよく行われる。

「また遊ぼうね」
「また来てね」
「空はいい気持ちだったね」
「くもは、ふわふわしていたよ」
「たのしかったね」

などが吹き出しの中に書かれる。どれも、あり得そうな答えではある。そう言ったかもしれない。だが、文章中から、子供が本当に言ったという証拠を出すことはできない。論理的に答えを出せない。文章中には書かれていないからだ。子供の想像の範囲にすぎないのである。

文章中に根拠がない以上、「絶対にこれが正解」というものはない。だからこそ、逆に、子供が想像した心情を全て、正解にしてしまうのだとも考えられる。

劇化して心情を捉えさせようとする授業

「くじらぐも」や「おおきなかぶ」などは、小学校の日常の授業でも、しばしば、劇化される。劇化というのは、寸劇を入れるということである。寸劇中に、心情を考えるさせる授業になる。

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「大きなかぶ」では、おじいさんとおばあさんが、畑にできた大きなかぶを抜こうとしても抜けない場面の演技を子供にさせる。おじいさん役の子供とおばあさん役の子供に、「まだ、かぶ、抜けないね。おじいさんとおばあさん、今どんな気持ちかな」と問いかける。問われた子供たちは、 

「つかれた」
「はやく、ぬけないかな」
「だれか手伝って!」

などの答えを出す。いずれも、文章中に書かれている言葉から考えられた心情ではない。文章中には書かれていないのだ。

 

ある研究会で質問があった。「登場人物の心情を捉えさせようとして、劇化して教えている。だが、ワークテストをしてみると、心情を捉えられていないことが分かる。どうすればいいか」という質問だった。私も同じ思いだった。

劇をした子供に心情を聞いていた時期があった。テストもしてみた。「このときの登場人物の気持ちを考えて書きなさい」という記述式の問題では、解答欄が空欄のままという子が多かった。

授業中に劇化して登場人物の心情を聞いた問題と同じはずなのに、なぜか、書けていない子が多くいた。「嬉しい」「悲しい」など文章中に書いてあるときでさえも、見つけることができないという子もいた。結果、平均60点いくかいかないかぐらいにしかならなかった。

質問に応じた教師の答えは納得できるものではなかった。「何度か劇化してみる。他の子供にもどう思うか、反対意見はないかなどを聞いてみる。これを何度か繰り返すしかないのではないか」だったからだ。すでにやってきたことだったので、納得できなかったのだ。

やはり、文章中に心情を表す言葉がなければ、劇化しても登場人物の心情を捉えることはできないということだ。