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ドイツ語を学び「なぜ英語じゃないの?」と言われ続けた私が思うこと

27歳の今考える「勉強とはなにか」

日本の大学を卒業後ドイツに移住、大学入学や就職の苦労などもしながらも住み続け、『ドイツ人と日本人 比べてみたらどっちもどっち』という著書もあるライターの雨宮紫苑さん。ドイツに興味を持ち始めたのは大学生のときで、授業だけではなく、独学でもドイツ語を学ぶようになった。そこでいつも言われたのは「なんで英語じゃないの?」だったという。その問いを紐解くと、「学ぶとは何か」という問いの答えも見えてくる――。

 

なんの役に立つの?

なんで英語じゃなくてドイツ語を勉強するの? なんの役に立つの?

大学でドイツ語を勉強し、卒業後ドイツへ移住、現在もドイツ在住のわたしは、ときどきこういう質問をされる。ドイツの公用語はドイツ語だが、「海外在住=英語がペラペラ」だと思っている人も一定数いて、わたしがドイツ語で生活していると知ると「なんでわざわざドイツ語?」と怪訝な顔をされることもある。

その一方で、「ドイツ語を勉強しているなんてすごい」と言われることも少なくない。ドイツ語なんてそんなにマイナーではないと思うのだが、英語以外の言語を「あえて」勉強しているのはすごい、という認識の人もいるようだ。

雨宮さんがずっと使っているドイツ語のテキスト 写真提供/雨宮紫苑

こういった言葉に正直「ん?」と思ったりはするが、悪意がないことはわかっているし、いちいち腹がたつ、というほどでもない。

たしかに、将来役に立つ可能性や需要を考えれば圧倒的に英語>ドイツ語だ。だから、「なんでわざわざドイツ語なの?」という質問も理解はできる。

でもわたしは、こういった類の質問がちょっと苦手だ。「勉強とは将来役に立つことを見越してするもの」という前提に、違和感を覚えてしまう。

「勉強する=えらい」ではなかった

わたしは小さい頃から、突然妙なものに興味をもつクセ、というか、性質があった。興味の対象には脈絡がなく、いつも唐突に「これが知りたい!!」と言い出す。

小学3年生のときには漢字辞典にハマって1日何時間も読んでいたし、小学校6年生のときには家にあった横山光輝さんの漫画『三国志』を全巻暗記するレベルで読み込んだ。中学生になってからはギリシア神話や哲学、心理学の本を読み漁った記憶がある。

突然湧き上がるわたしの興味に対し、親は「なんでそんなもの」などとは一度も言わず、にこやかに振り回されてくれた

香川県に住んでいた2年間で、父はわたしのお気に入りの歴史資料館に20回は連れて行ってくれたと思う。小さな歴史資料館に何度も行くなんて退屈だったかもしれないが、一度もイヤな顔をされたことはない。母だって、うだるような暑さが続く夏休みでもわたしがねだれば図書館に行き、本を選び終わるまでずっと待っていてくれた。

これは現在も変わっておらず、去年父と千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館を6時間かけて見て回ったし(すべては見きれなかったけれど)、函館家族旅行では漫画『ゴールデンカムイ』の影響で「アイヌ博物館に行きたい!」と急に言い出したわたしのために時間をとってくれた。図書館にも相変わらず付き合ってくれる。

こういった家庭環境なものだから、わたしは勉強することが「すごいこと」や「えらいこと」だなんて思ったことはない。そもそも親から「勉強しなさい」と言われたことすらないのだ。

RPGゲームで試行錯誤の結果隠しダンジョンを見つけたらうれしい。料理で新しいレシピを作り出すのは楽しい。わたしにとって勉強というのはそれと同じで、「新発見する楽しいもの」だった。だれかに強制されることではないし、耐え忍んでまでやるようなものでもない。しいていえば「娯楽」だ。

一方で、多くの大人は「勉強する子はえらい」と言うし、同級生はいつも「勉強なんてしたくない」と言う。

そんな空気のなかでは、積極的に学ぼうとする自分がどこかおかしい気がして、あえて先生に反抗して優等生ではないアピールをしたり、「意識が高い」と言われないように図書館に通っていることを黙っていたりした。でも心の中では、勉強を楽しむことにちょっとした罪悪感をもってしまう環境に、言いようのない居心地の悪さを感じていた。

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