「不都合な現実」をめぐる、科学とリベラルの対立の根本原因

「言ってはいけない」事実をどう扱うか

このようにして、リベラルに敵対する保守派は、攻撃の論拠を進化論に見出すことになる。

「現代の進化論」の専門家・研究者は生き物の群れ(社会性)と同様に人間の集団を研究するが、だからこそ自分を「善」、相手を「悪」の側に分類するような「群れ的思考」の偏見を警戒し、白人や黒人といった集団の属性よりも個人の資質を重視する。

こうした政治的立場は一般に「リベラル」と見なされるが、皮肉なことに、そんな彼らがダーウィンの進化論を否定する「右翼」の一派と見なされるようになってしまった。

 

もうひとつの理由は、シリコンバレーを中心に「サイバーリバタリアニズム」と呼ばれる思想的潮流があり、科学とテクノロジーを根拠に「(民主党的な)リベラル」と敵対していることだ。トランプ支持を公言するピーター・ティールほど過激でなくても、シリコンバレーの大多数はテクノロジーによって自由を極限まで拡大しようとするリバタリアン(自由至上主義者)だろう。

その結果、進化論者(科学)、サイバーリバタリアン(テクノロジー)、オルタナ右翼(白人至上主義)がそれぞれ異なる価値観を持ちながら、「アンチリベラル」で共闘しているかのように見える(実際に相手を利用していることもある)奇怪な状況が生じている。これをテクノロジーの側から見た風景が、『ダークウェブ・アンダーグラウンド』で描かれている。

ピーター・ティール氏〔PHOTO〕gettyimages

木澤氏はI.D.Wを「社会的価値観より科学的リアルを信奉するエビデンス至上主義」と述べているが、この定義には疑問がある。なにかを主張するにあたってエビデンスを示すのは科学の前提であり、エビデンスのない批判に価値はないからだ。

「エビデンスがあっても「言ってはいけない」ことがある」との主張があるかもしれないが、その場合は、「科学的根拠があって自由に表現していいこと」と「科学的根拠があっても表現の自由が制約されること」をどこで線引きするかを決めなくてはならない。その境界線を決めるのは誰で、どうやって管理し、境界を侵犯した者をどのように罰する(刑務所に放り込む?)のだろうか。

このように考えれば、どれほど不愉快でも、リベラルは「エビデンス至上主義」を批判することができない。こうしてリベラルは「ひとびとの良識」に訴えてPCコードを振りかざすようになり、それに対抗して「アンチリベラル」はエビデンスを前面に押し出すのだ。

「インテリジェント・デザイン」の思想

サイバーリバタリアンにより相応しいのは、「知能至上主義」だろう。

ピーター・ティールは著書『ゼロ・トゥ・ワン』で、「ダーウィン主義はほかの文脈では筋の通った理論かもしれないけれど、スタートアップにおいてはインテリジェント・デザインこそが最適だ」と述べている。

進化論を神の教えに反するとして拒絶するキリスト教原理主義者は、学校で「(聖書にもとづく)正しい歴史」を教えるために、“神”を背景に隠し、「宇宙や自然界の神秘は科学だけでは説明できず、知性ある(インテリジェントな)何かによってデザインされた」と主張している。

そしてティールは、反理性的なこの信念を、インテリジェントすなわち“神”から特別な才能を与えられた者たち(ギフテッド)が、テクノロジーのちからによって世界を「デザイン」するのだと読みかえる。 

これがティールのいう「インテリジェント・デザイン」であり、彼の思想の(危険な)本質が見事に現われている。

「サイファーパンク」「クリプト(暗号)アナキスト」などとも呼ばれる、きわめて高いIQを持つ「知能至上主義者」が、仕事を失い中流から脱落しつつあるトランプ支持の「プアホワイト」「ホワイトトラッシュ(白いゴミ)」の陰謀論者たちを引き連れ、PCのきれいごとをまき散らす「エリート主義」のリベラルと敵対する。

この異様な構図が、シンギュラリティへと向かう知識社会(私たちの未来)の深い「闇(ダーク)」を象徴しているのだろう。