愛人3人、借金13億円…亡くなったあの有名人たちの豪快すぎるエピソード

ハチャメチャだけど、もう一度会いたい
週刊現代 プロフィール

素っ裸で舞台に立った太地

自由奔放な女優と言えば、誰もが思い浮かべるのが、太地喜和子だろう。長年の友人だったカルーセル麻紀はこう語る。

「一緒によく飲み歩きましたよ。舞台が終わった後、彼女の楽屋を訪れると、顔も背中も白塗りの喜和子は、ササッと顔だけ洗って、『よし、飲みに行くぞ』って。楽屋にはいつもシャンパンを持っていくんだけど、『これ冷えてるか。じゃあ、飲んじゃおう』とその場で飲み始めることもあった。

朝の6時頃まで飲んだ後、必ず私の自宅に来るのが定番。ひどいときは二人とも裸でソファで寝ていたこともありました(笑)」

彼女は「恋に生き、酒を愛し、芝居に命を燃やした」と評された。カルーセルによれば、舞台への熱意は並々ならぬものがあったという。

「『あわれ彼女は娼婦』という舞台を観に行ったときのことです。私は最前列の席でしたが、喜和子はスッポンポンで演じているから、すべて丸見えでした。

終演後に彼女にそのことを告げると、『だって、ヤッた後、シーツにくるまっているシーンなのに、パンツをはいていたらおかしいだろ』って。喜和子はそういう女優でした。とにかく芝居に命をかけていた。

喜和子の舞台を見ると、いつも涙が出た。楽屋に行くと、彼女は胡坐をかいてビールを飲みながら『どうだ、よかったか、泣いたか』って。昔を思い出すと泣きそうになります」

 

カルーセルは、豪快な役者として、藤山寛美の名前も挙げる。寛美は豪遊の末に、37歳で13億円の借金を抱えた。

「私がまだ芸能界にデビューする前、大阪の店で働いていたときのこと。飲みに来た寛美さんが『あんた、安物の服を着とるなぁ。このカネで服作りぃ』と言っていきなり50万円くれたんですよ。

私たちの月給が1万いくらの時代です。そのおカネでドレスを作って、寛美さんの楽屋に見せに行ったら、『やっぱりええ女はええ服を着ないとあかんでぇ』って一言。

それからずいぶん経って、私が経営していた京都のお店に遊びに来たときには、『ワシ、カネないねん。もう何もないねん』と言いながら、時計を外そうとした。『もうやめてください』と断ったのですが、『取っといてくれ』の一点張り。いまはあんな人はいない。しかも、人間味もあった。全然威張らないんです」

そうした豪快な昭和のスター、最後の生き残りと称されたのが、松方弘樹である。その酒豪ぶりは圧倒的で、自身の最高記録を「ウイスキー5本に日本酒1升」と語るほど。また女性関係も華やか。32歳のときにはインタビューでこう答えている。

「女を何人知ってるかっていうと八百人にちょっと欠けるかな。だって、年に三百人なんて頃もあった。オレ、丈夫なのよ」

リップサービスを惜しまない松方ゆえに真偽は不明だが、モテたことはたしか。一方で後輩の面倒見も良かった。30年来の付き合いがあった俳優の中野英雄が語る。

「はじめて松方さんと共演したときは足が震えてセリフがまったく出てこなかったんですね。そのとき、松方さんは僕の顔をじっと見て、こう声をかけてくれたんです。

『たかが芝居じゃねえかよ』と。『命取られやしねえよ。間違ってもいいじゃねえかよ。一番いいもん出してこい』。その一言があったから、僕は今日まで俳優をやってこれたと思っています」

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ハチャメチャな人物が多い歌舞伎の世界でも、真っ先に名が挙がるのは、11代目市川團十郎。13代目を襲名予定の市川海老蔵の祖父にあたる。11代目は妻と離婚した後、家政婦と再婚した。歌舞伎研究家の喜熨斗勝氏が解説する。

「家政婦さんと役者が籍を入れることは、梨園ではありえない出来事です。周囲から大反対されることは当然。そのため、ずっと彼女には炊事、洗濯など家事全般をしてもらいながら、交際が露見しないようにしていた。

その逆境を乗り越えて、最終的には正式な素晴らしい夫婦の関係になりました。周囲に文句を言わせないまでの圧倒的な舞台を見せて再婚したんです。

11代目の演技の凄みは『睨み』。いつしか『11代目に睨まれれば幸せになる』という話がお客さんに伝わるようになりました。睨みの陰に『秘密の恋』が隠れていたからでしょう」