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愛人3人、借金13億円…亡くなったあの有名人たちの豪快すぎるエピソード

ハチャメチャだけど、もう一度会いたい

いまのスターが小粒に見えてしまう。昭和の大物たちは、私生活も豪快。だからこそ仕事にも味が出た。周囲も細かいことでケチをつけるなんてことはしない。芸能界も政財界もエネルギッシュだった。

チップ1万円を渡すワケ

昭和という時代はハチャメチャだけど、魅力的な人物がいた。コンプライアンスなんて言葉もない、大らかな時代だった。

芸能界の代表格は勝新太郎。勝はチップをバンバン配ることで有名だ。勝の元マネージャーで、『勝新秘録』の著者・アンディ松本氏が言う。

「オヤジ(勝)は水を運んできたボーイさんにも『ありがとうな』と言って、必ず1万円のチップを渡していたんです。

ポケットにはいつも100万円ほどを無造作に入れていましたが、3~4日くらいでなくなっていました。あるとき、1万円札を20枚預かって、『俺が忘れたときに代わりにチップを渡してくれ』と頼まれたんです。

そこで私はより多くの人に配れるように1万円札を5000円札に両替しました。ところが、それでオヤジからカミナリを落とされてしまったんです」

ケチってはいけなかった。勝がチップを渡すことには深い理由があった。自分が大スターだからという理由で、格好つけていたわけではなかったのだ。松本氏は続ける。

「オヤジはこう言うんです。『俺はいろんなところで、一生懸命生きている人たちを見学させてもらっている。チップは生の演技への授業料なんだよ』って。常人には想像できない視点で物を考える人でしたね。

オヤジはもともとおカネには無頓着。結局、社長を務める勝プロダクションは倒産して、債権者がたくさん事務所に押しかけてきました。なかにはその筋の人もいましたが、彼らの多くがチャラにしてくれた。

オヤジは誰かが遊びに来れば、街に繰り出して、すべての勘定を払う。彼らはそんな姿を見ていたので、『この人からカネは取れん』となったんです。

オヤジの最高傑作は生涯をかけて演じた勝新太郎という作品ではないかな。オヤジが興味深いことを言っていた。『人間というのは皆、演技しているんだ。(本当の自分とは)大方、反対の演技をしているんだ』ってね」

いまの時代にこれほどの役者がいるだろうか。

 

コメディアンでは、横山やすしが破天荒な伝説には事欠かない。しかも、なぜか高速道路にまつわるエピソードが多い。

「気に障った弟子を高速道路の途中でクルマから下ろすなんて当たり前。出口を過ぎて、300mほどバックで戻ったことも。渋滞に出くわすと、運転手に『左に行け!』と命じて路肩を走る。

ダッシュボードから赤いランプを取り出し屋根につけて、爆走した。最後は飲酒運転で吉本興業をクビになりますが、それもさもありなんでした」(在阪の放送作家)

有名な逸話は「時計鍋」である。やすしは、しばしば自宅に客人を招いて、鍋を振る舞った。そこで、お客が時間を気にして、腕時計をチラチラ見ていると、やすしは激高。時計を外させて奪うと、鍋に放り込むのだ。

『てなもんや三度笠』や『花王名人劇場』など数数のお笑い番組を手がけたメディアプロデューサー澤田隆治氏が語る。

「やっさんは漫才の天才でした。でも、それ以外は滅茶苦茶だった。真面目な西川きよしとは対照的。やっさんは『キー坊は不器用やからな』といつも言っていました。

だから、僕は『あんたが異常なんだ』と伝えていました(笑)。行動の基準がわからない。やっさんが不祥事でボロボロになったとき、とても面倒見の良い顔役がいた。

その人が『あいつは何を考えとんねん』と言ったほど。『かくまってあげているのに飲みに出るわ、子分をどつくわ』って。やっさんについては、永遠に語られ続けると思っていたけど、最近は大阪であっても話題に出ない。これは寂しいですね」

スケールの大きさで言えば、石原裕次郎が唯一無二。親交が深かったタレント・俳優のなべおさみが思い返す。

「忘れられない夏の思い出があります。裕次郎さんが、『逗子に良いホテルがあるから、るみ子(なべの妻・元女優の笹るみ子)と行ってこい!』と、すべて手配してくれたことがあるんです。

義理のお母さんも一緒に3人で逗子に泊まると、ホテルでは大変なもてなしを受けました。さらに、裕次郎さんから『朝11時に浜辺に出てくれ』と言われていたので、ゴザを敷いて3人でのんびりしていたんです。

すると、11時ちょうどに沖から一台のモーターボートが現れたかと思うと、誰かがゴムボートに乗り移って、海辺に向かってきた。そう、裕次郎さんです。

夏場の逗子ですから、あたりは海水浴客で一杯。でも、裕次郎さんだと分かると海水浴客がぶわーっと2つに割れて、道ができた。

裕次郎さんはゴムボートを引っ張りながらこっちに来て、『お母さん、はじめまして。裕次郎です』。義母は感激していましたね。そういう気遣いのできる人でした」