“過去の遺物”でビール革命!“伝説のホップ”仕込みのエールを飲む

醸造科学に新展開をもたらした謎の成分
中川 隆夫

ソラチエースが伝説たる2つの理由

ソラチエースが“伝説のホップ”たるゆえんは、ゲラン酸を多く含んでいることにある。こう言い切ってしまいたいところだが、話はそう単純ではない。

一般的なホップは、生育過程でゲラン酸がゲラン酸メチルに変化する。しかしソラチエースは、ゲラン酸メチルに変換する酵素が弱いため、ゲラン酸がそのまま残っているのではないかと蛸井さんは推測する。

「ゲラン酸が多く含まれることで、なぜ香りが強調されるのかというと、2つの要因が考えられます。

じつは、分子構造が似たものどうしは香りを強め合うという性質があります。香気成分のゲラニオールはゲラン酸と似た構造を持っていて、これが1つめの要因。

2つめは、香りの研究者でも知る人ぞ知る話で、化学式で〈-COOH〉という構造をもった、一般には脂肪酸と言われる成分が、単独では匂わない程度の量でも他の匂いを強めるはたらきがあるのです。ゲラン酸もこの仲間です。

これらの要因によって、ゲラン酸が多く含まれるソラチエースが、独特の香りを生み出しているのではないかと思います」(蛸井さん)

ゲラン酸以外のホップ香気成分は、他の柑橘系の香りのホップにも含まれているものだったが、ゲラン酸はホップ以外のビールの香りにはほとんど影響しない。ソラチエースエール独自の香りは、その両方があって初めて生まれる特徴だというのだ。

【図(グラフ)】官能評価の結果
  ソラチエースエール独自の香りは、ゲラン酸とそれ以外のホップの香気成分の両方があって生じることがわかる

じつは謎だらけのビールづくり

じつは、蛸井さんたちがこのゲラン酸を発見するまで、1年以上の時間を要している。香気研究の分野では香りの強い成分を探す研究手法は発達しているが、ゲラン酸は逆に香りがとても弱い成分だったため、この成分分析に非常に苦労したからだ。

実際の醸造においては、長年のビールづくりの経験から目指す味にたどり着くが、それを分析していくのは想像以上に難しい。ゲラン酸の作用を発見できたことも、奇跡に近いものだと蛸井さんは強調する。

ビールにおけるホップを、「華」であると表現する人もいる。ファッションショーがまさしくそうであるように、ときに身体を超えて主役になることもあるほどだ。

クラフトビールのブームは、まさにこのホップの存在に支えられている。

ホップの個性がビールの個性を生み出す時代──。独特の香りを高めるふしぎなゲラン酸の発見は、今後のホップ育種やビール造りにどんな影響を及ぼしていくのだろう。

醸造過程においては、まだまだ科学的に解明されていない点も多いビールづくり。クラフトビールブームに代表される多様なビール文化の進展が、ソラチエースのように、謎をひとつひとつ解明していくきっかけになっている。

そしてそれが、次代の個性的なビールの開発に活かされていくのだ。

【写真】多様なビール文化の進展が次代の開発へつながる
  多様なビール文化の進展が次代の個性的なビールの開発へつながっていく photo by gettyimages

カラー版 ビールの科学
麦芽とホップが生み出す「旨さ」の秘密

【書影】カラー版 ビールの科学

編著 : 渡 淳二

5000年以上にわたって人類に愛されてきた「麦の酒」。なぜゴクゴクと飲み続けることができるのか? 世界各地のご当地ビール「飲み歩き」旅ガイドと「ビール料理」のレシピもついた「ビール大全」。