一流企業勤務でも…?他人事ではない「家賃滞納という貧困」の現実

自分に関係ないと言えますか?
太田垣 章子 プロフィール

「夜中の2時半頃に起きて準備して配達して、仮眠とって学校行って。でも午後の授業は夕刊の配達があるから出られなくて。急いでもどって準備して、また配達して翌日の準備し て。学校で眠たくて、勉強どころじゃなくて。1年くらいはなんとか続けたけど、もう限界でした。これ以上やったら、心を病んじゃうと思って辞めたんです。新聞配達の奨学金で大学を卒業する人、ほんと心から尊敬します。俺には無理でした」
 
新聞配達を辞めると寮も出なければならず、部屋を探しました。今時珍しい、風呂なし共同便所の4畳部屋。「荷物なんて布団と数枚の服と、大学で必要な本くらいだからこれで十分でした」
 
今はカラオケ店でアルバイトをしていました。まかないもでるし、シャワールームも使える。なんとか貸与型の奨学金とバイト代でやっていけるはずでした。

「バイト中にカラオケで歌っている大学生を見たら、羨ましいです。俺、小さいときから、ずっと『金ない、金ない』っていう親の言葉聞いて育って、金使って遊ぶなんて経験ないんですよ。塾に通うなんてとんでもない。同級生たちが塾の先生の悪口言っていて、それ聞いて『行けるだけマシじゃないか』って腹立ってましたね」

 

真面目に働いても貧困から抜け出せない

親はちゃんと働いています。それでもいつも家にはお金がありませんでした。

「中卒って、やっぱ給料安いんですかね。だからとにかく大学行けって。でも今の自分を見ていたら、三流大学卒業しても変わんないんじゃないかって思うんです。バイトしないと学校通えないし、勉強する時間が足りないから成績も良くないし、だから就職だってそんないい会社に行けるとは思えないし。しかもその中から奨学金も返さないといけないし。生活していけないんじゃないかって。俺、どうなるんですかね、どうしたらいいんですかね」
 
新聞配達の奨学金で学校に通っていれば、学費や寮費の負担もなく〝安定した〞生活は続けられたはずです。けれどもその実情は、想像以上に過酷でした。営業店によって違うのでしょうが、翔馬さんの休みは新聞の休刊日だけでした。誰が彼を責められるでしょうか。

その環境から飛び出してしまったあと、翔馬さんはアルバイトをしながらなんとか凌いでいました。しかしギリギリの生活はたった1回のバイク事故から破綻してしまったのです。
 
結局、翔馬さんの場合は親御さんの援助は期待できなかったため、部屋を明け渡してもらうことになりました。消費者金融でお金を借りるという選択肢もあったのでしょうが、「それしちゃうと転落人生まっしぐらな気がするから」と、部屋を出ることを選んだのです。

「子どもの頃からずっと金がないと言われ続け、そしていま自分も金がない。貧乏人から抜け出せる人っているんですかね。俺の手を引いて大家さんのところに家賃待って、って言いに行っていた母は、どんな気持ちだったのかな」
 
最後にそう言いながら、翔馬さんは荷物を抱えて歩いて行きました。