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漫画家・安野モヨコがわずか3行で虜になった「世界的ベストセラー」

本の魔力を語る

漫画家としての矜持は宮沢賢治から

今回は、登場人物やその置かれた場所が映像として頭に浮かぶような、描写の力が際立った作品を選びました。

まず『車輪の下』は、ヘルマン・ヘッセの自伝的小説です。

作者自身が投影されたと言われる、知性と感受性に恵まれた少年が主人公。彼は周囲の期待を一身に浴びるものの、その重さに耐えられず、破滅へと向かっていく。

基本的には少年の重苦しい青春を描いた作品ですが、内面の暗さとコントラストをなすような、自然描写の瑞々しさが心に残ります。

『車輪の下』の舞台となったマウルブロン修道院(Photo by iStock)

この本を初めて読んだのは、小学校高学年の時でした。子どもの頃に読んで感銘を受けた作品が、大人になって読み返したらそうでもなかった、ということはたまにあります。でも、『車輪の下』は違う。

本当に素晴らしい作品は、年齢を重ねて読み取れるものは変わったとしても、素晴らしいという一点では変わることはないのだと実感しました。

注文の多い料理店』は有名な童話ですね。宮沢賢治の作品は、登場人物が人間の真の姿に迫っていると思います。

この作品で言えば、あまり感じの良くない金持ち青年の姿に、古今東西に通じる普遍的な人物像が確かに感じられる。私は漫画家として、ただかわいいとかカッコイイだけではなく、「リアルな人間をきちんと描く」ということを矜持としていますが、その根底にあるのは、間違いなく宮沢賢治の作品ですね。

 

人魚の嘆き・魔術師』は話ももちろんですが、日本画家の水島爾保布による、挿絵の素晴らしさに惹かれました。中国の貴公子が西洋人から人魚を買い、その美しさに陶酔するという「人魚の嘆き」の世界観とも絶妙にマッチしています。

中学生の頃は明治・大正期を扱った作品が大好きで、図書館で一生懸命その頃に描かれた絵を探したりしました。その中で最も自身の好みに合ったのが本作の挿絵で、模写もしていました。

寺田寅彦随筆集』は物理学者による随筆で、文章を読んだときは驚愕した記憶があります。理数系の人が書いたゆえの文章の独特さと言いますか、根本が確立されているような「芯」を感じたんです。

小説家の方とか、いわゆる文系の人の文章は、文学的な表現が強すぎると感じることが少なくありません。でもこの本は、数字とか図形で考えられていることを文章にしているので、論理を追う楽しみがたくさんある。だからこそ新鮮な面白さを感じました。

3行読むだけで大満足の文章力

プー横丁にたった家』はアニメでも有名な『クマのプーさん』の続編です。続編だからこその良さというか、書いていくうちに作家の中で世界観が成長して、安定していく感覚が見受けられます。

1巻目の最初のほうは、作者自身もこれからどうなるかわからないような、手探りの感覚があったように思えます。しかし、ある程度キャラクターや設定がさだまってきて、すごく面白くなってくるところで1巻目が終わります。そして、この続編で作者の世界が完成されるんですね。挿絵や翻訳の力も重要で、さまざまな要素が折り重なって、稀有な世界を創り出していると感じます。

1位は『儚い光』。ナチスの殺戮を逃れた少年が、過去の悪夢を乗り越えて成長していく過程を描いた作品です。

私は基本的に、読書の時には「早く読まなければ」という意識があるんですが、この小説は初めて、同じ部分を何回も読み直した本でした。ストーリーを把握しなかったとしても、文章の力がとにかく圧倒的。3行だけを読んだとしても、私にとっては湖畔にある最高級のホテルに泊まっているような、最上の時間を手にすることができる作品です。

本作は一つひとつの描写が素晴らしい。特に記憶に残っているのは冒頭です。

主人公が、両親を失って何日も森でさまよい、あるときにふと川に入ります。その場面で体の汚れを表す、「服についていた(しらみ)が泡のように水に浮く」という描写に驚きました。想像もできないですがすごく説得力があって、どうすればこんな描写をものにできるのかと思いました。

私は漫画を描く際は、ひらめきや直感を軸にしているんですが、この作品のように入念に作り込んだ、綿密な描き方はできません。それだけに、同じ作り手としての、尊敬の念がやまないですね。

私にとっての読書は、自分の立場や今いる場所を度外視して、ひとつの個体として本の世界と対峙する時間です。

本で描かれる世界が自分に到達できないものであるほど、読書の時間は贅沢なものになると思っています。(取材・文/若林良)

▼最近読んだ一冊(「上海游記」)

「芥川が20代後半の頃の上海への旅行記です。当時の中国に対する差別意識は見過ごせませんが、芥川レベルの人でもこうした意識があったのだという発見と、大正時代における上海の姿を知れたことは大きな収穫でした」