「千葉小4女児死亡事件」で痛感…日本の児童虐待をめぐる厳しい現実

母親逮捕から見えてくること
井戸 まさえ プロフィール

目黒女児虐待事件から改善されたのか

児童虐待に対して直近で対策の必要性が言われたのは2018年6月のことだ。

東京都目黒区で虐待を受けたとされる船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5)がその年の3月に死亡した事件を受け、政府は緊急対策として、2022年度までに、子どもや保護者の相談や指導、支援に当たる児童福祉司を約2000人増員、また、安全確認を進める児童相談所職員が子どもと面会できなかった場合、原則立ち入り調査を実施することもルール化。必要に応じて警察の援助も要請できるよう改善した。

しかし、筆者はそれだけでは、「日本から『児童虐待』が絶対なくならない」と指摘した。なぜならば、虐待現場は政治の想像を越えているからだ。

この1年足らずの間に起った二つの児童虐待死事件。「結愛」さんと「心愛」さん。どちらの名にも「愛」という字が入っている。

出生時には愛される存在として生まれ、一生を愛に包まれて暮らせるようにと願われて命名されたであろうふたりが、その実感もないままに命を奪われたと思うと、そんな悠長なことを言っている場合ではないと思う。

特に、母親へは厳しい目が向けられがちだ。だからこそ、児童虐待は防げない。命名時の親の思いを遮断しまったのは彼女だけが悪いのであろうか。

〔PHOTO〕iStock

「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」

2017年11月の段階では、暴力を振るっていたのは「お父さん」。「お母さん」に関しての記載はない。

心愛さんの「先生、どうにかできませんか」の言葉は小学校4年生にしては大人びたものである。「どうにかできませんか」はもしかしたら母親があちこちで言っていた言葉なのではないかと思うと、余計に苦しくなる。

 

母親の逮捕は「暴行を止められなかった」ことを重く見たとしているが、DV被害を受けている母親が「暴力を止める」ことなどできるのであろうか? 逮捕理由として適当なのかも含めて考えさせられる。

母親が「暴行を止める」ことができる唯一の方法は、夫の元をまずは物理的に去ることしかない。しかし、幼子を抱えた母親ひとりでできるわけなどない。

児童相談所や学校等とのアクセスがなかったわけではないにもかかわらず、どこも母親に対して手を差し伸べなかったのだろうか? 「母親支援」が十分ではなかったからこそ、この事件を回避できなかったのではないか。

「暴行を止めることができなかった」のは母親だけではないのだ。

母親の逮捕について、他府県の児童相談所元所長はこう指摘する。

「児童虐待防止法は、第三者からの虐待を含め保護者が子どもが虐待されているのを知りながら放置していた場合も『ネグレクト』に該当するとしています。面前DVも児童虐待です。

ですので、警察は母親も児童虐待の加害者として扱っているのではないかと思料します。母親はDV被害者であり、夫の支配下にありますが、子どもの安全確保、例えば市への通告などを適切に行わなかったことに着目しているのではないでしょうか。

とは言え、野田市や児相が適切に連携し、DV被害者として母親に対応していないところは大きな問題です。父親から母親への面前DVは子どもに対する心理的虐待でもあるのですから。一時保護解除を判断した理由、解除後の支援計画が不十分なように思えてなりません。

市教委、学校の対応は言語道断です。このケースが児童相談所に『おんぶに抱っこ』の全国の市町村の意識及び対応強化につながることを期待してやみません」

少なくとも今の認識のまま、さらに児童相談所依存を深める対策を行なっても、「日本の児童虐待事件は絶対になくならない」。

そうさせないためにも、虐待について世論を形成するまなざしの若干の修正と、児童虐待対策の抜本的、根本的な見直しが求められている。