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平成の終わりに考える…日本の「元号」とはなんだったのか

橋爪大三郎の「社会学の窓から」⑧

明治政府が「元号」にこだわったワケ

今年は平成の最後の年。新天皇の即位に合わせて、元号が改まる。明治維新以来の慣例である。天皇の在位期間と元号がシンクロ(同期)する。これを、「一世一元」という。明治以前、元号は天皇在位の途中でも、ときどき改めるものだった。「一世一元」は新しいやり方である。

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いまは元号法(1979年)で、「一世一元」が決まっている。平成の次の元号も、この法律にもとづき、政府が政令で定めることになる。

さて、明治政府はなぜ、元号にこだわったのだろうか。そこには、国際社会の一員として承認されたい、でも日本の独自性も主張したい、という屈折した意図が見て取れる。

それまで日本は、旧暦(天保暦)を使っていた。これは陰陽暦で、週ではなく十日を単位とし、三十日(または二十九日)をひと月とし、一年は十二カ月(ときどき閏月を加えて十三カ月)だった。

これは、西暦とずれていて、不便で困ると思った。そこで明治六年に、西暦(現行のグレゴリオ暦)に移行することにした。(ただし明治末までは、旧暦も併記された。)

 

そもそも西暦とはどんな暦?

さて西暦とは、どんな暦なのか。その昔、ローマが採用した太陽暦(ユリウス暦)である。それをキリスト教会が受け継ぎ、イエス・キリストの生誕を元年とし、毎年それから何年目と積算して年号にした。要するに、キリスト教の暦である。

ユリウス暦では、一年が三六五・二五日になるので、やや不正確。1000年も経つとさすがにズレが大きくなる。そこで1582年にローマ教会が、一年を三六五・二四二五日になるように改めたのが、グレゴリオ暦である。真実の一年とのズレは、無視できる程度に小さくなった。

明治政府は、世界で通用している西暦が、キリスト教暦であることを認識はしていただろう。それでもグローバル・スタンダードだから、採用しないわけにはいかない。1873年=明治六年、のように国内向けには元号を使うのだから、まあいいや、と思ったのかもしれない。