普通のサラリーマンをユダヤ人虐殺に突き進ませた「組織悪」の正体

疎外を恐れる我々に、今なお宿る病理
根本 正一 プロフィール

普通のサラリーマン・アイヒマンが犯した「罪」

それぞれの思惑を抱いて組織内での自己実現を図るワイマール時代のホワイトカラー層は、経済合理化の波にさらされてその思いを達成できず、その不満解消をナチ党に求めていた。

このシリーズの第1回で述べたように、ナチ党は少なくともドイツ人の失業を解消し、モノや余暇に溢れた生活を保障し、また力によって道徳と秩序を回復した。それだけではない。ナチ党は傷ついたホワイトカラー層の自尊心を蘇らせるのに成功した。

ここにワイマール期にサラリーマン生活に挫折し、ナチ党に入党、ナチの政権獲得後にホロコーストに多大な役割を果たした有名な人間がいる。ナチ親衛隊(SS)傘下の秘密国家警察(ゲシュタポ)のユダヤ人課長、アドルフ・アイヒマンである。

アドルフ・アイヒマン/photo by Gettyimages

アイヒマンは1906年生まれ、父親は電気軌道会社の計理士で、厳格なプロテスタントの家庭で育った下層中産階級の出である。しかし、5人兄弟のなかで最も成績が悪く、職業訓練学校も中退。その後、ワイマール期には父親の人脈でセールスマンとしての生活を続けたが、業績も挙げられず解雇されてしまう。

しかし、そのころオーストリア・ナチ党に入党した(ドイツ生まれだが、その後父親がオーストリアへ移住したことで当地に生活の基本を置いていた)ことが、彼を時代の寵児へと押し上げた。SSに入隊すると、後の国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒに見出されるという僥倖を得る。

ハイドリヒはヒトラー側近のSS全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの麾下にいて、イデオロギーに殉ずるヒムラーのもとで実務の専門家として諜報活動や対外工作に手腕を発揮した野心家だ。

アイヒマンはユダヤ人担当課に配属され、オーストリアがドイツに併合(1938年)されると、同国内のユダヤ人の移住政策に邁進する。彼は深く物事を考える人間ではなかったが、ユダヤ人を故国パレスチナに向かわせるシオニズム運動に共鳴していて、強制移住は善行と信じていた。

しかし、追い出した後に他国がユダヤ人の受け入れを好まず、強制収容所送りになることには思いが至らなかったようだ。

駆り集めたユダヤ人の人数と、目的地の収容所の収容人数、また1つの列車に詰め込める人数と目的地までの輸送距離・時間から、綿密な列車時刻表を組み立てる――この数学的な公式を解く作業は、セールスマン稼業を送った経験のあるアイヒマンには得意とする分野であったようだ。

その流れ作業的な、効率的な官僚的手法は、短期間で大量のユダヤ人を抹殺するナチの政策にぴたりと当てはまった。アイヒマンはその功績を認められてユダヤ人課長まで出世している。彼は命令を忠実に実行して、それが認められることに最大の喜びを感じる人間であった。

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アイヒマンは戦後、逃亡してアルゼンチンで捕まり、エルサレムで裁判を受け死刑に処された。アイヒマン裁判を通じて、被害者のユダヤ人でなくとも世界中が「どんな冷徹な人間なのか」とその行方に注目した。

しかし、女性哲学者のハンナ・アーレントがこの裁判を傍聴して著した『エルサレムのアイヒマン』(1963年)で結論づけたように、アイヒマンは極悪人ではなく、世の中に普通にいる小心者の小役人に過ぎないという事実が衝撃を以て迎えられた(しかし、その結論は認めがたい、という反発もユダヤ人を中心に多くある)。

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