普通のサラリーマンをユダヤ人虐殺に突き進ませた「組織悪」の正体

疎外を恐れる我々に、今なお宿る病理
根本 正一 プロフィール

「精神的なホームレス」がたどる2つのタイプ

クラカウアーは、当代のサラリーマン層を「精神的なホームレス」と形容した。彼の分析から言えるのは、まずホワイトカラー層は能力だけを頼りに生きていかなければならないという不安を常時抱えている。

ひと昔前の貴族のように出自や財産という社会的基盤を持っていないのは当然としても、農民のように土地を持つわけでもなく、職人のように特別な職能を持つわけでもない。ホワイトカラー層が最も恐れるのは、「能力がない」と思われ、社会から落ちこぼれることである。

事務全般に通用する汎用的な能力を求められる彼らは学校教育の過程で古典的教養もある程度身につけているのだが、社会からの承認を得るためにはどこまでも現実的な目先の知識を身につけようとする。それには公認の「資格」を得るのが手っ取り早い。大学やギルドが早くから発達したドイツは日本以上に資格社会であり、高級官吏や学校教員も含めて多くの専門職において選別のための資格制度が発達した。

「エリートとして選別されたい」という意識は、他の人間を排除する精神をも生み出す。不測の経済状況から、また競争相手も次々と増えるにつれ、挫折を味わうサラリーマン層も多い。自尊心を挫かれたとき、権威に取り込まれながらもそこにしがみつき、その惨めさを忘却しようと努めるしか道がなくなる。

さて、このようなホワイトカラー層の勃興により、どのような心理構造が社会に育まれていったのか。

ニーチェはすでに19世紀において、ニヒリズムの時代を予兆した。人間が真理と信ずる統一的な世界観を失い、人生に意義を見出せなくなる状況だ。現代においては宗教への意識が薄れ、また市民道徳にも懐疑的になったとき、人間は絶望や無力感に陥る。

ワイマール時代を生きた思想家エーリッヒ・フロムはこれを一歩進めて、現代の中間層が精神的な不安から「頽落」していく姿を描く。近代社会において自律的に生きることができるようになったが、伝統的な絆から解き放たれて逆に孤立し、孤独感を深める。

エーリッヒ・フロム/エーリッヒ・フロム(photo by Gettyimages)

その恐怖から自由の重荷に耐え切れなくなった現代人は、権威主義的な「サド・マゾヒズム的性格」を強めるという。つまり、上位の権威を讃え、それに服従するとともに、下位には自らの権威を誇示し、服従させようとの心理である。

そこから、組織に属する人間は大ざっぱに2つのタイプに分かれていく。権威に従順に行動することで達成感を覚えるタイプと、権威を上手く利用して自らの欲望を満たそうと画策するタイプである。

組織が生む意思決定の巨大な歪み

ホワイトカラー層の勃興したワイマール時代の組織構造は、現代日本のそれと通じる。サラリーマンの階層が幾重にも重なった現代の巨大ヒエラルキーのもとで、「組織の生理」がどのように働くのか、次に考えてみよう。

組織の構成員はそれぞれの私的目的を持っているが、それをバラバラに主張していては組織は成り立たない。そこで組織目的が掲げられるのだが、それがあまり具体的になり過ぎると各自の私的目的とそぐわぬ事態も生じる。

したがって組織のトップは、抽象的な形でしか組織目的を掲げない。また組織のトップも同様に私的目的を持っており、それを組織目的に同化させるための理論的構築を試みる。これは抽象的な言動としてしか現れないのだが、そのことが組織のトップが求めるカリスマ性にもつながる。だから、組織目的が正しいとは限らない。

トップのカリスマ性とは別に、組織はヒエラルキーのもとでの官僚制的システムが支配している。専門分化された職務体系のもと、形式的な規則と上意下達の命令系統に従って非人格的に粛々と業務が進められていく。その過程でトップを上手に補佐する、実務の専門家の存在が浮かび上がってくる。

彼らはトップの掲げる抽象的な組織目的に対して具体的な目標設定をするのだが、そこに彼らの私的目的が入り込むと上手くその構造を利用して組織を好きな方向へと誘導することも可能になる。

photo by Istock

巨大なヒエラルキー組織のもとでは、中間管理職のそれぞれの立場で同様のすり替えが行われる危険性が高まる。したがって、当初の組織目的が下部組織への伝達過程において歪められたり、あるいは増幅されたりすることも多々あるのが現実だ。

しかし、組織のトップとその下の中間管理職たちがそれぞれの思惑で下した意思決定を、そのまま実行に移す末端の部隊も存在する。彼らは与えられた規則に従って条件反射的に仕事に取り組めばよいのであり、その欺瞞を感じ取っていたとしても自己保身のために渋々従う姿がある。その意味では、彼らもまた、私的目的を優先している。

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