日本に「雑誌の時代」をもたらした、革命的な二つの制度の誕生

大衆は神である(36)
魚住 昭 プロフィール

大野が主導した定価販売制と、増田がはじめた返品自由制は、大正期日本に雑誌時代をもたらした。乱売競争が収まり、売れ残りの返品が可能になったことにより、地方書店も雑誌販売に力を入れだした。

雑誌販売店(当時は書籍だけを売る店と、書籍・雑誌の両方を売る店、書籍を扱わない雑誌販売店の3種があった)も全国的に増加し、販売網の拡大は売れ行き増進に拍車をかけた。あとは、時代を引っ張るニューヒーローの登場を待つばかりである。

仕入部主任の訪問

返品で苦しんでいた『講談倶楽部』(明治44年創刊)が、上昇気流に乗ったのはちょうどその直前だった。大正3年2月、清治の事業をさらに大きく飛躍させる出来事が起きる。

『私の半生』によると、きっかけは、東京堂の仕入部主任である山添平作(やまぞえ・へいさく)が団子坂の社を訪ねてきたことだった。山添は『講談倶楽部』の売れ行きが好調なのを祝し、こう切り出した。

 

「今日は大野の言いつけで特別のお願いがあって伺ったわけですが……、これは決してわがままなお願いでないことと、お察しいただけると思いまして……」

清治は大野孫平(当時は東京堂の代表社員。大正6年から専務)に会ったことはないが、日ごろから山添には無理難題を言ってお世話になっている。そんな人物から丁重な口調で「特別のお願いがあって」などといわれるのはあまり気持ちのよいものではない。

清治はうなだれて囲炉裏の中の火を見つめながら、山添の次の言葉を待った。

「実はとうにお願いしたいしたいと思っていたのですが、もう少し様子を見て、もう1年も待ってと、つい今日に至ったのですが、このごろたいそうお盛んの模様に察せられますので、貴社の歩合(ぶあい)を単行本のほうだけ少し緩やかにしていただけないかとお願いにあがったわけです」

歩合とは、雑誌・書籍の卸値の割合(業界用語で「掛(かけ)」とも「正味(しょうみ)」ともいう)を指す。仮に単行本の小売り定価が1円で、歩合(=掛=正味)が七五(7割5分)とすれば、東京堂への卸値は75銭。それをさらに値引いてほしいと山添は言っているのである。

註① 『書店はんじょう』1957年2月「取次回顧鼎談(その2)」より。
註② 『日本出版販売史』