深刻な「恵方巻き大量廃棄」から考える、日本が目指すべき社会像

食品ロス削減と貧困対策について
大西 連 プロフィール

日本に「食べることができない」子どもは存在するか

2018年6月に与党の重鎮である国会議員が講演のなかで、「食べるに困る家は実際はない」「『今晩、飯を炊くのにお米が用意できない』という家は日本中にはない」と発言した、ということが話題になった。

7人に1人の子どもが貧困である(厚労省「国民生活基礎調査」2015年)という現状を考えれば、批判をされてもおかしくない失言と言ってもいい。

しかし、一方で、経済成長し生活水準の高いこの日本社会において、この議員と同様の認識の人が多いのも実際のところであろう。

では、本当に日本に「食べるに困る家はない」のだろうか。

2012年におこなわれた東京都の「子供生活実態調査」によれば、11%の子どものいる家庭において、「食料を買えなかった経験」をしていることがわかる。

「食料を買えなかった経験」が「よくあった」は1%、「時々あった」が3%、「まれにあった」が7%であるので、もちろん、必ずしもその11%が常時食料不足におちいっているわけではない。

しかし、「食料を買えなかった経験」が「時々あった」「まれにあった」が1割近くある現状はショッキングなものではないだろうか。

アジアやアフリカなどの途上国といわれる地域などに比べたら、たしかにこの数字は少ないと感じるかもしれない。

しかし、世界第三位の経済力を持つと言われる日本社会において、11%が食料を買えなかった経験をしていることは、大きな問題であると言える。

上記の政治家の「『今晩、飯を炊くのにお米が用意できない』という家は日本中にはない」という発言は、厳しい言い方をすれば、苦しい家計状況のなかで暮らす子どもたちの実態をみていない見識を欠いたものだ。

もしくは、たとえば、この11%の家庭のことが「眼中にない」のであれば、それはさらに問題である。

 

このように、日本でも、これは子どもに限らず、食料に困っている状況におちいってしまっている人は一定数存在する。

もちろん、こういった低所得の人たち、貧困状況におちいっている人たちに対して、生活保護制度などの社会保障制度は存在するし、そういった公的な支援の役割と機能はとても大きく、かつ重要である。

その拡充なくして「子どもの貧困対策」や「生活困窮者支援」という枠組みを語ることは難しい。

しかし、大量に廃棄される「食品ロス」と「子どもの貧困」「生活困窮者支援」をつなぐ取り組みとして期待され、すでに重要な役割を担っている活動が存在する。